どの曲からはじめる? その3:調性
その1:どの曲から始める? その1 初学者の場合 - 半熟ドクターのジャズブログ
その2:どの曲を始めるべきか? その2 レパートリーを増やす - 半熟ドクターのジャズブログ
の続きです。
トーナリティ−(調性)
大多数の人は、アドリブを習得する際に、
- 大まかにトーナリティー(調性)に沿ったフレーズを吹くレベル。
- コードチェンジを意識した、Bop-idiomに沿ってフレーズを吹くレベル。
- Modal interchange、Diatonic/non-diatonicを含むAvailable note scale、Upper structure triadなどを意識してフレーズを吹くレベル。
- InsideとOutsideを自由に切り替えて自由度の高いフレージングを行うレベル。
という段階をふんで発展してゆくのではないかと思います。
もちろんこの上達の過程にはいろいろなバリエーションがありえます。
楽器の特性、個人の特性によってもかなり違います。
たとえばギター・ベースについては演奏において調性の制限が少ない、つまり調性の切り替えに対する耐性が強い楽器です。
それ以外の楽器は調性が変わる毎にかなり練習を必要とする。ピアノもしかり。ただしピアノは可視化しやすい点で有利です。
一般に管楽器は、調性の変化に弱く、トーナリティーの呪縛から離れるのは容易ではありません。
また、相対音感に優れている人は、ほとんど何の苦労もなく1.がこなせることもあります。
ジャンルによる傾向もあります。ファンクやフュージョンを主戦場にする場合は2はあまり意識しないでしょう(そもそもバップじゃないし)。
3.と4.にはいくつかの先鋭的なプレイスタイルが含まれますが、理論化されていないものもあり、様式美として定式化されていない部分を含みます。非常におもしろい領域。そう守破離でいえば離に属する領域と思ってもらってもいいでしょう。
キーを拡大する。
調性の呪縛の大きい楽器の場合、初学者の方は別のキーの曲をやるのは大変です。
(この項に関してはギターの方にはあてはまらない部分が多いかもしれません。金管を想定して書いています。)
初期の段階では、管楽器の方はたとえばFのキーとか吹きやすいと思いますね。サックスはわかりませんが、
金管楽器ではFは非常に吹きやすい。ドレミファソラシドも、ちょうど吹きやすい音域に存在しています。
Fのキーでアドリブを練習して、十分できるようになったら、その後他のキーに進むというのもあるけど、ある程度吹けたら、そんなに完成度が高くなくても、他のキーへ積極的に進出することを考えた方がいいです。
やりづらいものはやりたくないものですから、無理矢理にでも拡張していった方がいいですね。
F、C、Bbあたりをこなした後、Eb、G、Abまではレパートリーに入れておくのが無難です*1。
アマチュアだったらこの段階で止まっている人も多くて、Db、Gb、Dまでやればもう上等な部類です。
残るB, E, Aはジャズでは苦手とする人結構多いですよね。
本当は全部のキーをなめらかに、こともなさげに吹けるのが理想です。ですが、それに支払う代償は大きく、利はあまり大きくはありません。
Any keyでフレーズが繰り出せることには、大きな意味があるのですが、
実際錬成していくのはかなり大変ではあります。
あ、マイナーは F→Dmとか、読み替えてくださいね。
*1:ジャズ研の2回生・3回生レベルで、Fの曲はなんとなくなんとかできているけど他のキーだと嘘ばっかり、みたいな人はたまにいます。そういう若者をみていると、好き嫌いなく人参やピーマンも食べてくださいね…とお母さんのような気持ちになる。
どの曲を始めるべきか? その2 レパートリーを増やす
前回 (どの曲から始める? その1 初学者の場合 - 半熟ドクターのジャズブログ )の続きです。
レパートリーを増やす:
さて、初学の段階では、前回上述したように一曲一曲こなしていくわけですが「一つの曲をしゃぶりつくす」ような練習方法をそうやって何度か経験すると、一曲をある程度仕上げる時間は逓減します。そうやって幾つか曲を演奏するのにも慣れてくると、次の段階に入るでしょう。
一つ一つの曲に根ざしていない、ジャズの普遍的な語法を錬成する段階です。
どんな曲でも、アドリブのフレージングのための語法は共通です。その共通の語法を自分の中で構築する段階ですね。理論的スキームが自分の中にできれば、どんなコード進行にも対応できるわけです。
理想をいうと、最終的な目標は初見の曲も既出の曲と同様に演奏できるようになること。これは曲の前準備に要する時間を出来るだけゼロに近づけるということを意味します。*1
この段階に適しているのは、1:持ち曲のバリエーションを増やすこと、さらに言えば2:「持ち曲」という概念をなくすことです。
例えばセッションなどで、やったことがない曲を演奏してみるとか。
その場合、前提として大まかな曲の構造をざっと把握する能力が必要になってきます。
この段階になってくると、冒頭の質問である「どの曲が難しいか」という問題が再び重要になってきます。
発展途上の段階では、今の自分の実力ではうまく演奏しきれない曲は確実に存在します。
今の実力とのギャップが、どれくらいあるのか。「今」ちょっと頑張ったらできるのか、それとも「あとまわし」にすべき曲なのか。
無限に時間があるなら深く考える必要はありません。
一曲一曲時間をかけてこなせばいい。
しかし、残念ながら、学生生活も、そして人生も有限なのです。
今の自分の力では手に余るような難曲一曲に多大な時間を要するよりは、初級から中級の曲をバランス良く、そして効率よくこなした上で、難局に向かう方が、トータルの所要時間は少なくて済む。そして多くの曲に触れることで、持ち曲のバリエーションも増やすことができます。
では、この段階で(つまりアドリブ語法の習得段階で)問われる曲の難易とはなんでしょうか?(つづく)
*1:もちろん、これには弊害もあります。これについては以前、 曲をこなせるようになる、とはどういうことかに書きました。
どの曲から始める? その1 初学者の場合
(2007年くらいに書いた記事をRefineしています。)
問:コンボの曲をやってみようと思います。
ただ、どの曲をしたらいいのか、よくわかりません。
先輩に訊いたら「簡単な曲をやればいいんだヨ!」と答えが返ってきました。……いや、だから、どの曲が簡単なのかがわからないんですってば。
はい、これまた難しい問題ですね。
何十曲かやれば、曲の難易度は自然にわかるでしょう。が、初めての時はわからないものです。
初めてであれば、どの曲だって難しいものですから。
全く初めての時は:
全く初めての場合は、ジャズを始めて最初の発表会に臨むとか、そういうシチュエーションですね。
どうしたらいいでしょうか?
これは逆説的ですが、全く初めての時は、簡単な曲、簡単な曲、と、ことさらに意識しなくていいんじゃないかと思います。
何やったってどうせ難しいんだから。
メロディーが吹けそうなら、やってみる価値はあります。
その代わり十分に時間をかけて取り組んでください。一曲丸ごとコピーしてやる(勿論、できる範囲でですけれども)くらいの気概を持って。
ほんとうは、ジャズって、オリジナルを墨守しなくてもいいんです。特にソロとか。
テーマの部分だって、例えば、4beatの曲をボサでやってみるとか、テンポを変えたりだとか、そういうちょっとした変更は非難されることではない *1
ですから、どんな曲も身の丈に合う形で演奏しようと思えば出来るものです。
そういう意味では曲の難易度というのは存在しません。
クラシックとの大きな違いはそこです。クラシックでは「難しさ」という属性は曲に付随する。
しかし、ジャズでは「難しさ」は必ずしも曲の属性ではない。同じ曲を難しくやることもできるし、簡単にやることもできる。
原曲の音符を一言一句変えてはいけないというルールはないわけですから。
ただ、初学的な段階では、変更自体が難しいです。
それに、ソロに関して言えば、ソロは自分を表現するために自分の技術を十全に使いきるものです。また、CD(LP)での演奏家は見事なテクニックを持っていますから。だからソロを完全に模倣することこそ難しい。
テーマ部分に大きく変更を加えずとも成立しそうなものをまずやってみればいいと思います。
ソロについてはまた別の項で書きますが、初学の段階では気に入ったソロがあればコピーして練習するのをおすすめします。
それを人前で演奏するべきかというのはまた別問題ですけど。
コピーしたソロを踏まえて自分で前もって譜面に書いてみたりするのも一つの手だと思います。
個人的なおすすめは、6コーラスくらいやっているソロの頭2コーラスくらいをコピーすること。また、歌伴などの限定された短いソロをコピーすることです。長いソロはどうしても起承転結などの流れを考えて、導入部分はやや静かに、途中からアクセルを踏み込むものですが、その静かな部分のソロは、無理なく演奏できる可能性が高い。歌伴のソロはわかりやすさ重視なので、比較的理解しやすいわかりやすいソロが多いです。*2
まとめ:
- 全く初めての場合はあまり曲の難易度は関係ない。
- テーマが吹けそうであれば、チャレンジしてみる価値はある。
- ソロはコピーしたものを自分のテクニックに合った風に改編できるなら、それが望ましい。
記譜について その2
問い:小節数が半端な曲のコピーはどういう風に書いたらいいんでしょうか?
はい、結構微妙な問題ですね。
その1で私は「コピーの際の小節は4つ割にせよ」というアドバイスをしました*1
- 半端っぷりにもよるし、
- 楽譜を書く対象にもよる、
最終的にはケースバイケースに判断せざるを得ません。
例えばAlone togetherという曲がありますね。
AABA'の単純な進行なんですが、Aが少し変わっていて10小節なんです。
A(10)、A(10)、B(8)、A'(8)。
4ずつ割ればちょっと「字余り」になります。
アドリブソロのコピーを採譜する場合、この中途半端な部分をどうするか?
僕は10小節を4-4-2と3段目の半分書いたところでその先は空白のまま次は下の段に書いてしまいます。
もちろん、これは正確な採譜方法の観点から見ると間違っています。だが、コードの流れは実際ここである種の断絶を示しているのでここで切り上げるのはそれほど間違っているとは思えません。また、そのあとコーラスの頭が中途半端なところにある弊害の方が大きいと僕は考えます。ぱっと見たときに流れがつかみにくくなるからです。
リードシートの場合は、A-Aの繰り返しを、1カッコ、2カッコと処理すると、Bメロからまた行頭にくるのでうまく処理できますね。
「黒本」はそういう風に記載されていると思います。
ちなみにこの曲のアドリブのコピー譜などの場合(アドリブのコピー譜の場合は、カッコによる繰り返し、というわけにはいきませんから、半端な小節を改行するか、それともそのまま続けるか、ということになります。この曲の場合はAAで丁度20小節。ここで4の倍数にもどりますから、4小節割で、続けて書いてもあまり弊害は生じません。
しかし、いつも運がいいとは限りません。
たとえばLike a Loverという曲があります。
AABA進行なのですが、A(14)A(14)B(13)A(14)という譜割りとなっています。
この場合は……どうでしょう?こういうやつはおとなしく、大きなセクションが終わったら改行した方が迷いにくいような気はします。
例えば、ちょっとしたアレンジで32小節の曲のコーラスの末尾に1小節もしくは2小節のfill-inを加える場合があります。このとき、一コーラスは33(or34)小節になります。
この場合の記譜は先程と同様にその場所で意識の断裂があってしかるべきなので、僕は1小節(もしくは2小節)書いたあと、段を切り上げてしまいます。もしくはちょっと詰めて書いて一段に6小節書いてしまいます。
スタンダードで言えば、Smileとか、Feel Like Makin Loveとかに、微妙に後ろに「しっぽ」がついていますね。
これは最終行にこの小節だけ書くことが多いような気がしますが、そもそも譜面をきちんとみない人は、そこを見落とすところに遭遇します。見落とさないように書けるかどうかがポイントです。念を入れて書き込みましょう(笑)。
アドリブ譜の場合、最も重視されるべきなのは演者の「意識」で、文法など大した問題ではないとは思います。自分で使うものですからね。
「リードシート」は 人に見せる譜面ですから、いわゆる楽典上のルールに沿うことをおすすめしますが、それと可読性との間で衝突が起こった場合は、可読性を優先させたほうがいいと、私は思います。
ジャンルによる書き方の違い
いわゆるJazz standardは1コーラスの小節数は4の倍数であることがほとんどです。
基本的に、Jazzの楽曲構造は同じコード進行が曲の始まりから終わりまで円環状に繰り返される構造といってよいと思います。だから、4つ割を重要視した方が有利なんです。つねに二重線は段の始めに来るようにする方が、把握しやすい。
スタンダード・ジャズは逆に「リードシート」に基づいて演奏される形態であるがゆえに、わかりやすい楽曲構造なのかもしれません。この辺は原因なのか結果なのか、よくわかりませんね。
対照的にポップスやフュージョンの楽曲構造はこれほど単純ではありません。
始まりと終わりの対称性は低く、曲は一方向に進行します。
従って与えられるソロスペースも不規則で、同じコード進行が繰り返しというのはむしろ少ない。
この場合は前述したような「譜面の4つ割」にそれほどナーバスになる必要はないかもしれません。多分そういう場合は、4小節ずつだったり、改行を多く作っていると何ページにもなってしまうので、それはそれで不便だと思います。
*1:私がいっているのではなく、これは基本的なことです。念のため
記譜について:
問い:Jazz始めたんですけど、楽譜って自分で書くんですねぇ。びっくりしました。
何か注意事項ありますか?
はい。コンボやセッションで「この曲やりたいでーす」ともってくる譜面は、メロディーとコードの書いてある、いわゆる「Leadsheet」と言われるものなんです。
このリードシートですが、2018年10月現在は、日本では納浩一先生の「Jazz Standard Bible」いわゆる「黒本」シリーズがデファクト・スタンダードとなっています。でも、たとえば違うキーの曲を演奏したり、載っていないレアな佳曲をセッションでやってみたかったり、はたまた自分なりのリハモをして、独自アレンジを持ち込みたかったりする場合は、自分でリードシートを作ることになります。
フロント楽器の人たちは今では黒本が便利になりすぎちゃってて、そんなに作る機会ないですが、ボーカルの人は自分のキーというものもありますから、初学者の時点でもそれなりに譜面を用意する機会があるかと思います。
ではこの場合の注意点とはなんでしょうか?
記譜の際のちょっとしたアドバイス
- 一段には原則として4小節、等間隔に小節割をした方がいいです。4小節ずつの進行を絶対にずらさないこと。
これは結構大事なことで、4小節のケーデンスがずれると、途端に読みづらくなります。たとえばAメロを二回繰り返したりして、1カッコ、2カッコ、みたいに書く場合は、大まかな4小節のケーデンスがずれないように書くことをすすめます。その場合はカッコのある行は縮めて入れるようにする必要がある。
これはいわゆる「黒本」の”All the things you are”の冒頭、イントロからメロディーの部分です。
ここで大事なのは二行目の終わりを4小節目で終えていること。これが、3小節目や5小節目で終わっていると、途端に読みづらくなります*1
とはいえ、All the thingsのように、メロディーがゆったりしている場合はこのように詰めて書くこともできますが、バップとか、細かい動きをする場合もありますから、カッコの部分を詰めるとどうしても4小節を示しにくい場合などもありますよね。
手書きの場合は、1カッコ、2カッコで、このように改行しちゃう場合もあります*2
これは僕の手書きの譜面なんですが(曲はなんでしょうね笑)、こんな感じで書くと詰まって読みにくい、という事態を避けられます。ただし、楽典的にはNGです*3
そもそもテーマとメロディーが4小節のケーデンスから余っている場合はまた別の機会を設けて説明しましょう。
これも段が変わるごとに書くのが正調です。ただ、ノイズにしかならないので省略することが多い。もちろん、ベースパートのみ記載するとか、楽譜が進むにつれて記号を変える場合は、記載してください。
- タイトルだけではなく、作曲者の名前はどこかに記載するようにしてください。
これは、作曲者への礼儀ですかね。
LeadSheetでは書かないこともありますが、たとえばコピー譜とかだったら、右下に採譜した年・月を記載しておくと、あとで便利です。
- 音符の書き方
いわゆる出版社の正式な譜面は、かなり黒玉が大きめにかかれてあります。それこそ線間の音符は、ちょうど上下の線に接するが如くに大きく書かれていますが、実際自分で書く時は、ちょっと小さめに書いた方が視認性のいい譜面が書けます。あと、斜めっぽい黒丸にしようとするのも、間違いのもとです。
全音符以外は、黒丸から縦に延びる線がありますね。あれは、●からちょっと離した方が読みやすいです。
シンコペーションの書き方、譜面の書き方については、読みやすいこつはもう少しあります。これもまた別の機会に。
- コードネームは可能な限り大きく
ジャズマンの3割は老眼です*4。御大が読めるようにしておきましょう。
m7とM7は見間違える可能性があるのでM7は⊿7を推奨します。
- 一コーラスがどこからどこまでであるか、というのを明示する
ジャズの「Leadsheet」というのは演奏の際のある種の「手順書」のようなものです。イントロ・エンディングが書いてなくて一コーラスがシンプルに示されている場合は、「イントロ・エンディングは奏者にお任せ、書いてある全体を1コーラスして繰り返す」という風に読み取れます。
ただし、ボーカル譜のようなもので、イントロが示されている場合、一コーラスがどこからどこまでかは、リピート記号かなんかで囲ってやらないと迷ってしまうことがあるので、ご注意ください。
そもそも「ジャズボーカル」やりたい人の9割は、ジャズの曲を歌いたいだけでジャズをやりたいわけではない。
セッションとかで行われるジャズの「お作法」=楽曲の構造については全く無頓着ですし、たとえばスキャットも、プロでも半分はしないし、アマチュアの9割はスキャットでアドリブとかしません。あ、いけん。愚痴になってしまいました。
最後に
個人的には自分が主役(テーマもしくはリーディングソロをとる、あるいは両方)の場合に譜面をガン見するフロント楽器奏者はあんまり好きじゃないです*5。
またリードシートを常に黒本に頼るのも(コンセンサスが得られやすいというメリットはあるものの)発展性という意味ではどうかなーと思います。
だが、それ以前に、そもそも人に伝える気がないとしか思えないようなお手製の「Leadsheet」を持ってこられた場合、殺意を抱くことさえもあります。当然うまくサウンドしませんしね。黒本を多用する文化がどうかな~と思いつつ、容認されるのは、あれが現場として便利この上ないからです。
ただしそのおかげで、多くのミュージシャンがヘタクソな自作Leadsheetを持ち込んで怒られて反省しLeadsheetの書き方を学ぶ、という経験を得にくくなってしまいました。Lead Sheetを作って、自分のサウンドの志向を明確にすることは、本来とてもおもしろく、チャレンジングなことです。ぜひ一度試してみてはいかがでしょうか。
*1:読めたとしても、コードの大まかな流れとかが追いにくくなります。
*2:これは正式な楽典的にはNGです。なので譜面のソフトでこれを書くことはできません。ただし手書きのリードシートに限っていえば視認性優先の場合はありだと思っています。
*3:Blogの改行の多い文章は昔の原稿の規則からはNGでしたね。原稿用紙に埋めるそれは、書き手はあくまで文字列として書き、体裁や読みやすさは編集や校正で気を使うべきものであった。そもそもスペースや改行を多用して読みやすさを確保する、という考え方は昔の文章構成術にはなかった。それに近いと僕は思っています。
*4:もっとかも…
*5:好きじゃない、というのは優しい方で、多分NYのセッションとかだったら多分アウト。
上達する意味とは その2
前回(上達の意味とは その1 - 半熟ドクターのジャズブログ)の続きです。
問い:大学のビッグバンドに所属しています。
同級生には「プロになる」と息巻いている人もいます。
正直にいうと、私にはそこまでの覚悟はありませんし、それなりの大学に入ったんだし、将来はそれなりに就職をするんじゃないかと思います。
つまり、今は本気で楽器をやってますが、それは一生の仕事ではないわけで、あくまで趣味の範囲の話なんですよね。練習でうまくなっても、それに何の意味があるの?と思っちゃったんです。
一旦そう思うと、練習のモチベーションが下がっちゃうんですよね……。
なぜ人は上達しなければならないか。
そして上達することに意味はあるのか。
一つ言えることは、定命である我々は、無為であることを自覚して事を続けることには耐えられないということです。
上達するということ
私の場合は、ミュージシャンとして得られるであろう経済的インセンティブと一般就職で得られるインセンティブを比較しますと、圧倒的に一般就職の方が有利でした*1。ゆえにそちらの道にすすみ、現在に至ります*2。
とはいえ、学生の頃練習はした方だと思います。学生の頃はそんなに深く考えずとも、ただ音楽が好きだから練習をする。
それでよかった。
自分の学生生活も終わりをむかえんとする頃、「なぜ役に立たないのにこれほどまでに練習をしなければいけないのか」という疑問に随分悩みました。その頃は理由を見いだすことができず、悶々としていたのですが、その後、ある本を読み、非常に目の覚める思いをしました。
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ジャズの話はビタイチ載っていませんが、はっとする部分が沢山あります。
冒頭の「上達することの意味」という章の一部を取り上げてみます。
世の中には、上達とはなにかということを、自分なりに掴んでいる人がいる。たいていは、若い頃にひとつかふたつ深く打ち込んだことのある人で、その経験のなかから、上達に必要な練習の仕方や目の付け所を知っている人である。
一芸に秀でることは、多芸に秀でることだという考え方がある。この原則があてはまる範囲にも当然限度があるだろうが、一面の真実を含んでいる。それは、上達には一般的な法則があり、一芸に秀でる過程でその法則をある程度体得すれば、他の技能の上達にも応用が出来るからである。
(中略)
新しい仕事や難度の高い仕事を与えられても、いつの間にかきちんと自分のものにしている。そういう人がいるものである。あいつに任せておけばとりあえずある線まではきちんとやるそうだ。そんな感じに信頼出来る雰囲気がただよっている、そんな人がいるものである。
そういう人は、じつは、上達の法則を体で知っている人なのである。多くの場合、子供の頃に、なにかをかなり深く身につける経験を通じて、上達の一般則を体得しているのである。その体得が、新しいものを身につける時に自然に活かされるのである。
上達には法則がある。近道でなく、法則がある。
その法則が把握出来ている人は、努力の効率がよい。(中略)
また、ある程度難しい技能を深く体得した経験のある人は、他の技能でも、習得する必要が生じたら、ある程度の上達ができるという自信を持っている。その自信が、仕事ぶりや、ものごとへの取り組み方、関心の持ち方などに反映して、心に余裕を生んでいることが多い。「いざとなったらいま未習得の技能でも身につければよいさ」と考えて仕事をしている人とそうでない人では、心の余裕、仕事ぶりの余裕がまったく異なる。新しい領域に仕事を広げる進取の気風なども、たんに好奇心がつよいというだけでなく、このような本来的な余裕が良い結果をもたらすことが多い。
なるほど。
ジャズの技能は音楽の仕事以外にはあまり役立ちません。しかし、ジャズの技能を習得するためのプロセスは、他の仕事を習得する際にも役立つ。アホほど練習をしていた頃を今にして振り返ってみれば、確かに直感的に理解出来る。
この本を読んだ時「自分のしていたことは全く無駄というわけでもないんだ」と得心し、すっと胸のつかえがとれたことを覚えています。
この本は他にも「上級者は中級者とどこが違うか」とか「上級者になるためのプロセス」とか、いちいち肯ける部分が多いので、是非一度読んでみることをお薦めします。
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- かつてビジネスマンに必須のスキルとされたMBAはもはや価値が下落している。MBAでよくある問題解決手法はコモディティ化しているので差別化ができない。
- 現代はVUCAという言葉にあるように、複雑過ぎて先が見えない世界
- データが揃ってから最適解を出すのではもう遅い。データが不確かなうちに動かないといけない
- そのためには普遍的な美意識とかアートに触れてセンスを養っておく必要がある
- 最近エリートビジネスマンの間では芸術修士号をとるのが流行っていたり、ビジネスマン向けの美術鑑賞「ナイトミュージアム」というものも大流行りである。
要するに芸術に触れていることが、ビジネスマンにとっても不可欠である、という文脈。
現在地上最強の人種であるグローバルエリート達でさえ、MBAなどの方法論では限界を感じ、アートに触れて知の総合戦に挑んでいるっていうことなんです*3。
ある程度ジャズに通暁した諸兄なら、コード進行などジャズの音楽理論に数学的な構造美などを感じた瞬間も多々あると思う。そういう絶対的なものに対しての畏敬は、おそらくビジネスにおいても、ある種のセンスを涵養することができるのではないかと私も思います*4。
ジャズを深く学ぶ余録
また、このような一般論とは別にジャズに特有の特典もあります。
ジャズは音楽の中では限られたジャンルに過ぎませんが、現在の商業音楽のバックボーンになっている方法論の多くはジャズと関連が深いんですね。
ジャズのインプロヴィゼーションの技法を身につけることによって、曲の構造やアレンジ、サウンドへのアプローチをより深く理解することが出来る。
従って、楽器を離れて、単に一人のリスナーとして音楽を鑑賞する時でさえ、深くジャズに触れている経験は、深いレベルで音楽を楽しむ助けになることが出来るのです。
僕も就職直後、一時期楽器から完全に離れていました。現役の時には、自分の楽器の周辺のごく狭い範囲しか音楽を聴いていませんでしたが、楽器という軛から離れたことで、逆に幅広いジャンルの音楽に触れるようになりました。そして、そういう風にジャンルが広がっても、根本的な聴き方は、楽器をやっていたときに培われたものが役立っています。朝から晩まで音楽のことを考えていた時間があるからこそ、幅広い音楽を深く楽しむことが出来る。
「一生、音楽を深く楽しむことが出来ること」
この一点だけでも、学生時代に時間を注ぎ込んだことに対する十分な報いだと僕は思っています。
但しそのためにはかなり深いところまでジャズに浸淫する必要はあります。ジャズというジャンルを俯瞰できる程度には技能を習得する必要があるでしょう。
例えばビッグバンドでとりあえず大体の曲がこなせるレベルというのは、ジャズが深く理解出来ているということと同義ではありません。(口さがなく言えば、それは人間オルガンに過ぎないのです。楽しいけどな)。
まとめ
冒頭の問いに戻りましょう。
練習することに意味があるか?
間違いなく意味はあります。
「上達」というのは、「音楽」を上達させるのではなく、「自分」を上達させるものだから。
残念なことに「なぜ上達する必要があるのか」という問いには、安易な結論はありません。
個人として練習する場合、この「なぜ上達する必要があるのか」という問いは常に自分に投げかけられ続けます。
通奏低音のように、こうした問いの視線を感じながら練習をすることになるでしょう。
僕だって、今も「なぜ上達する必要があるのか」と思いながら、続けています。
大丈夫。
ビジネスも、医学も、音楽も、すべて人のやることです。
人のやることには常に道が生まれる。
その道を歩むことは、他の道を歩きやすくすることであると私は思っています。
ジャズ30年目の今、ますます思うようになりました。
道の先にいる私から、初学者のあなたへ。
この道を安心してすすめばいいんです。
道の先は崖……ということはありませんよ。
*1:それに学生の頃はプロになるような技量ではありませんでした。
*2:未練たらたらで、結果的にはプロとセッションで絡むセッションおじさんと化しています
*3:こういった風潮にはスティーブ・ジョブズの役割が大きいとは思います。
*4:個人的には芸術にはいろいろあるので「絵を描く」ようなビジネススタイルもあるだろうし「まるで音楽のような」ビジネススタイルというのもあると思う。
上達の意味とは その1
問い:大学のビッグバンドに所属しています。
同級生には「プロになる」と息巻いている人もいます。
正直にいうと、私にはそこまでの覚悟はありませんし、それなりの大学に入ったんだし、将来はそれなりに就職をするんじゃないかと思います。
つまり、今は本気で楽器をやってますが、それは一生の仕事ではないわけで、あくまで趣味の範囲の話なんですよね。練習でうまくなっても、それに何の意味があるの?と思っちゃったんです。
一旦そう思うと、練習のモチベーションが下がっちゃうんですよね……。
はい、非常に根源的な問題ですね。
バカは、猿のように練習をし、その結果見事な留年や退学ぶりをみせつけてくれます。しかし大化けしてプロになる場合もある。
ちゃんとした人は、大学を中退したり留年せず卒業します。そういう人は練習すること上達する事に対しどうやって向上心を保てばいいのか。
プロになる?
音楽で身を立てようか悩むのは、プロミュージシャンになるということと、普通の(非音楽的な)就職を天秤にかけるということです。
モラトリアム期の器楽奏者の多くはキャリアパスは明確ではないまま課外活動として音楽活動をスタートさせることが多いと思います。
この場合、楽器の練習・音楽に時間を割くことは、他の(勉学、他の実技)トレーニングの時間を奪う。「練習」は機会喪失という意味ではマイナスです。
最初からプロミュージシャンを目指す少数の人を除けば「なぜ練習するのか?」という命題を自問しない人は少数派だと思う。そういう人が「プロになる」と決めた瞬間、価値観が逆転し、練習をすることが純粋に肯定されるわけですけれども。
秤量
プロになるかならざるべきか。
これは純粋にバランスの問題です。音楽の技量が優れていれば、プロへの道が優位でしょう。一方の「普通に就職する場合」の条件がよければ、プロに「ならない」方が有利でしょう。
もし今、あなたがこの選択肢に悩んでいるならば、それは、どちらのビジョンにもそれなりの公算があるんでしょうね。凡人にとってはプロミュージシャンの道は絵空事に近いはずですから。
逆に代案である「普通の就職」に大きな期待が出来ない場合、プロミュージシャンに強い方向付けを持たざるをえない。音楽専修の専門学校生や音大生などはよい例ですね。また学生生活を音楽に捧げているような輩は、しばしば留年・退学をやらかしますが、この場合、代案である一般就職の条件を自分で下げていることを意味します。いわば退路を断つ形で、音楽の道に進まざるを得ない状況に追い込まれる場合がある。
* *
私は神戸大学の軽音楽部出身でしたが、一応痩せても枯れても国立大学ですし、医学部ですし、普通の就職にも十分な魅力がありました。また、山野ビッグバンドジャズコンテストの常連校というのは、阪大であったり早稲田慶應であったりと、やらしい話ですが明らかに偏差値と正の相関があります。
新卒での就職の条件は学歴に依存するというドクマが未だに有効であるならば、こうしたコンテスト上位校の高い音楽演奏スキルのを学生達は、ミュージシャンへの道、一般就職への道いずれにおいても、多くのアドバンテージを有していることになります。このような大学生には、ミュージシャンになる選択肢も、そうでない選択肢も十分に魅力的でしょう。だが、基本的には選ぶことができるのは一つ。
少なからぬ数の楽器奏者達がミュージシャンになるか否かという選択で身を焦がした経験があると思います。
こうした状況に陥っている若者に希望を抱かせる(もしくは道を誤らせる)事実は、現在のプロミュージシャンがすべて音大とか音楽専門学校卒ではなくて、普通の学部からプロの道に進んだ人間が少なからぬ数を占めることでしょうか。
* *
プロミュージシャンと呼ばれるようになっても、それで悠々自適に食える人間はそれほど多くはないという事実もあります。
もちろん、経済的インセンティブがすべてではありません。が、人生の選択において大きな要素を占めていることも否定出来ません。最終的には、扶養家族を持ちながら音楽に専念する生活を送れる人間は一握りです。
純粋に経済的な側面からみる限り、残念ながらミュージシャンはそうでない道よりも低い生涯賃金に甘んじるということを意味します(もちろんこれは統計的な傾向に過ぎません。一発当たればでかい。けれども、それは確率的には非常に低いという現実があります)。「好きなことをやって生きていく」というプライスレスな価値にどれだけ重きをおくことが出来るかにかかっているでしょう。
ではどうするか?
冒頭の問いに戻ります。
実際のところ、プロミュージシャンなんてそうそうなれるもんではありません。(だからこそ僕らはプロフェッショナルなミュージシャンを尊敬するのです)。しかしその事実は、しばしば練習に向かう我々を意気阻喪させます。
今ひとつ練習が伸び悩んでいたりする時には特にそうですし、ゼミのレポートや試験など「本業」で忙しくなった時などにもますますそう思うわけ。
なーんでこんなに練習しているのか。
プロにならないのであれば、それなりの練習でいい?
……それは何か違うような気がします。
好きなんだからやってんだろ?
見返りを考えてすること自体が間違いなんだよ。
……確かにそうかもしれませんが、その考えもちょっとナイーブ過ぎるように思います。そんな綺麗事では自分の心を納得させられることはできません。
趣味なんだから、所詮どんなにやっても自己満足以上のものはないよ。
……あー!いわないで!それいわないで!
生涯の仕事を音楽以外の道に定めようとする人間は、何を拠り所にして練習すればいいのでしょうか?
上達する意味とは その2 - 半熟ドクターのジャズブログ
(その2に続きます)