半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

緒言 このサイトをはじめるにあたって:

自己紹介:

私は草トロンボニストです。

トロンボーンを始めたのは中学校の時。
大学では軽音と名の付いたジャズ研的なクラブに入りました。
ちょっとだけビッグバンドをした後、コンボとかやってました。

今は本業は別にあります。
時々セッションに行ったりバンド組んだりして音楽活動をしています。
一言でいうと、日曜音楽家です。

こんな私が、ジャズに関するいろんなことを偉そうにウェブ上に書いてます。
ええと、見て気分が悪くなる人がいたら、ごめんなさい。
先に謝ります。

きっかけ

ただ、僕がこれを書いてる理由だけは伝えさせてください。

ジャズに関する言説はいろいろあります。
が、言葉の世界でプレーヤーとリスナーには乖離があると思うんです。

ジャズのリスナーサイド、つまり受け手の側には、確固とした文化があります。
これはジャズに限りませんが、文芸評論として営々と築かれた歴史がある。

ジャズは今でこそ文化の最先端からは脱落しています*1が、20世紀後半には最先端の芸術物として、例えばシュールレアリズムなどと同列に論じられる「エッジの利いた」カルチャーでした。

残念な事にそういうムーブメントはウェブが発達するはるか以前に終息してしまいました。*2
だからネット上でジャズを現在進行形で論じているページはあまりみられません。
それでも往時の熱さは、幾つかのサイトの良質の言説で知ることができます。*3

一方、プレーヤーサイドにも、一つの文化があるんです。
例えば大学のジャズ研のようなもの。
「学バン」と俗称される学生ビッグバンド。
地方の草の根ジャズプレーヤーコミュニティー*4
大都市圏の限りなくアマとプロの間のプレイヤー達。
少なからぬ数の人間が、「ジャズ」なる音楽に取り組み、少なからぬ時間を費やしています。

しかし、ウェブ上において、プレーヤー側の言説に出会うことはあまりありません。
勿論ないわけではないのですが、その人口の割に、読み応えのあるサイトに出会う頻度は少ない。

* * *

どこでもいいですが大学のジャズ研のHPを見てください。
多くはメンバー紹介、曲の紹介、イベントレポート、ライブ予定とか、そういう情報の場としてしか機能していない。
口さがなく言えば「立て看ウェブサイト」に過ぎない。しかも毎年ご丁寧に一から作り直されます。
そこにはじっくり語られる言葉の蓄積はないのです。ありません。

「文芸」としての矜持を持ったサイトに出会うことは、あまりにも少ない。
マチュア・プロ問わず、奏者からの言葉は饒舌に語られない。

プレーヤーは語らない

一体なぜなのか?
ジャズ喫茶に巣くうマニアに比べ、プレーヤーは屈託にかけるきらいはあります。
しかしプレーヤーに知性が欠けているわけではない。ジャズは知性を前提とする音楽で、むしろ少々知が先立ちすぎ可能性を狭めてるくらいです。

プレーヤー側の知性は、言語表出しにくいのだと、私は思います。
言葉を紡ぐことはプレーヤーにとって必須の能力ではないから。

ゆえに奏者の資質と言葉の豊穣さは必ずしも相関しません*5

また、これも僕の勝手な想像ですが、プレーヤーは演奏が表現手段です。
だから表現は言説でなく演奏で行う。音で表現してなんぼです。

ジャック・ニクラウスの逸話があります。

ニクラウスは全盛期にゴルフの理論書を著述しました。
それは、今ニクラウスがどう考えてゴルフをしているかを伝える、優れた教則本だったのですが、その本を書いた後、ニクラウスはものすごいスランプに陥ってしまったそうです。

つまり、自分のフィーリングを言葉という完全に等価ではないものに翻訳した弊害が表れた、ということです。
これをジャズに置き換えると、やはり同じ力学が作用しているのではないか。
行動でアウトプットするべき人間は、言葉によるアウトプットにリソースを割いてはいけない。

* * *

上述した理由によって、結果、ジャズ評論は完全にリスナーに牛耳られている。
でもプレーヤーの立場で初めて言えることもあると思いませんか。

実際に、演奏しないジャズ評論家の繰り出す巧緻な言説に違和感を感じることはありますし、ステージの上からしかみえない景色もある。

* * *
 
自分は奏者としても、文章の書き手としても二流の存在です。
が多くの某ジャズ評論家よりはジャズにかじりつき、演奏してきた経験がある。
国内の主要なセッションライブハウスにのこのこと参加する程度の対応力もある。

あくまでアマチュアの枠内ですが、経験は豊富な方です。*6
それにトロンボーンで食べてるわけではないですから言葉でアウトプットして、スランプに陥るデメリットもない(笑)

私の立ち位置で見える景色は、初学者の方、ジャズに興味がある方にはそれなりに役に立つのではないか。
自分が些かでもブロゴスフィアに貢献出来るとしたら、そういう部分ではないか。

それが、このジャズコーナーを臆せず書いている主な理由です。

(2005年に書いたことを 2018改稿)

*1:これは異論もあろうかとは思いますが。

*2:私の理解ではクロスオーバー・フュージョンの台頭と終焉で、多くのジャズライブハウスが文化の第一線という意味合いから脱落しています。

*3:『ジャズ批評』は言葉の世界でのある種の到達点ではなかったかと思いますが、デジタル・ネイティブには受け入れられない形でアーカイブされています。

*4:これは全国にありますね

*5:たとえばジャズ出身の文芸表現者として菊地成孔がいます。非常におもしろい文章を書く一方、ジャズ・ミュージシャンのマジョリティからは無視される氏のスタイルというのが、状況を端的に表しているように思われます。

*6:プロミュージシャンと交流もあります。