半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

練習におけるPDCAサイクル

インプットとアウトプットの話を前回(http://jazz.g.hatena.ne.jp/hanjukudoctor/20130610)書いた。

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 ああいう書きかたをしたのは、要するに今の自分の行動に辟易していたからで、あれから1ヶ月あまり、新しい企画や前回やった企画のその2、というのをあえて走らせずに、セッションにゆるゆると参加したりはしながら、自分のありようを考えている。

 もっとも、観る方は充実していた。

 ニューヨークで活躍している大林武司(http://ameblo.jp/tksobys/)さんのライブ、師匠でもある浜崎航・松本茜さんのライブ(Big Catchレコ発ツアー)と、CDレベルの方々のライブを立て続けに観、自分とのあまりの懸隔に呆然としたりもした。なにしろ、みな自分より年下だけれども、ジャズの真髄に肉薄していること、比ではない。

 と思ったけれども、そういう人の演奏を、そもそも同じ地平で考えている自分の不遜さが、おかしくも微笑ましく思えたのも事実である。こういう人たちを同一平面上の事象としてとらえる、べきかどうかはわからないが、アマチュアミュージシャンの多くは、そうは考えない。

 もともと持っているタレント、練習量などの差はさておき、一応目標としてこのレベルを念頭に置いて、研鑽を続けると、その人達のたどりついた高みの何割かのところに到達することができる(なにしろこちらは、彼らよりも能力が劣っている上に二足のわらじを履いているのだ)。逆にいうと、そういう思いを持たないと伸びないのである。「アマチュアのジャズ・ミュージシャンの平均値、だいたいこれくらいでOK?」というあたりを目標にしていても、伸びない。

 どんなに大それた、実現性の薄いことであったとしても、想像しないことは実現しない。モラトリアムから決別し、社会人としては実社会にそれなりの地位を見出し、子供も持った自分ではあるが、未だにこういう人達と同一平面上での演奏を妄想していることは、演奏者としては健全なのではないか?

 と思ったのは、ここ最近セッションで久しぶりに会う人々の演奏を耳にしたからだ。アマチュアの演奏で差が出るのは、そういう「健全な妄想」を持っているかそうでないかというところではなかろうか。そういうことを考えなくなった人からは、もうそういう音しかでないのだ。

 もっとも、そういう妄想は、社会人に必須な能力である客観的な評価能力や鑑賞眼と相反することだ。世の中をわたってゆくのに必要なクールさ、クレバーさは、自分がとるそのような妄想をクレイジーと断ずるだろう。

 だから、自分の能力を超えて、あまりに、あまりに、高みを目指すと、イカロスのように紅蓮の炎に焦がされてしまうのかもしれない。

 でも、貪欲に、目標は高く持った方がいい。たとえ、自分に幻滅してさえも。

 現在の自分に対する幻滅と、根拠のない未来への肯定感。おそらくこの青臭さが、サミュエル・ウルマンのいうところの青春なんだと思う。

 今の僕は、社会人の持つクールさと、しかしミュージシャンの持つべきクレイジーさを、脳の中で同居させている(勿論、幾分かの欺瞞はあるし、大人はずるいので、現在の自分に対する幻滅は若い頃よりは減らして自己肯定の比率をこっそり増やして心が折れないように防御もしている)。

 もちろんこれは一朝一夕にできるようになったわけではなく、多くの社会人ミュージシャンは、まず社会に出て、Adjustするのに少し時間を要し、そこから夜昼の切り替えを学習するのではないかな。

 * * *

 しかし、インプット・アウトプットのサイクルは難しい。

ライブを観るという行為はインプットだし。セッションで演奏するというのはアウトプットである。

しかし家で練習する、というのもインプットだし、セッションじゃない、自分のライブを組み立てるのもアウトプットである。

 しかし、この2つのインプットは全然意味が違うし、アウトプットも、少し意味あいが異なる。いや、そもそも家で練習というのはインプットなのか?アウトプットなのか?よくわからなくなってきた。家で練習、というのは、演奏の入出力では、アウトプットだが、他人に表現するという意味ではインプットという事になる。単純に、インプット・アウトプット、という二元法ではなく、もう少し細かく表現した方がよさそうだ。

むしろビジネスの世界で提唱されている、PDCAサイクルを練習の方法論に取り入れてみた方がいいかも。PDCAサイクルとは Plan→Do→Check→Actionの頭文字で、事業活動における生産管理や品質管理などの管理業務を円滑に進める手法である。

最近いろいろなことに触れて思うことは「一つのことはすべてに通じる」という事。

人間が行うことである限り、仕事でのメソッドも、趣味や家庭でのメソッドも、援用できるものは多い。

Plan:現状の評価と練習計画の策定。

Do:練習(コピーをしたり、アナリゼをしたり。含セッションでの演奏)

Check:問題点の再評価

Action:演奏

最近おろそかになっているけど、練習日誌を書くのを再開してみよう。

 * * *

今度は、「アメーバ経営」が音楽に援用できるかどうか、考えてみようかな。