私たちが楽器が上手くなる理由には2つあってだな
今回のはあまり生産的な話ではないです。
学生であれ、社会人であれ、プロであれアマチュアであれ、音楽を続けることによって経験は積まれてゆき、程度の差はあれ、それなりに習熟してゆく。
不思議なことに、コンスタントに続けていても、上達は均等に起こらないことが多い。比較的不連続なブレークスルーの繰り返し*1。
誰が考えたのか知らないが、RPGのレベルアップの概念はよくできていて、あれが実情に近いと思う。
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例えば社会人で、短期間にメキメキ上手くなっている人、たまにいますよね。もちろんこの場合、音楽が好きで没頭しているのは大前提ではあるのだが「音楽」をしている時間以外のことが、音楽の上達の理由になっていることが時にある。*2
例えば、仕事の壁にぶち当たっているとか、干されて暇だとか、家族やパートナーとの人間関係に深刻な問題を抱えているとか。身も蓋もなくいえば、アイデンティティークライシスみたいなもの。
また女性によくあるパターンとして、恋愛がきっかけで音楽に関係するというのは一定の割合であります。*3 *4
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上手くなりたいと思って練習をする。ただそれだけ。
こんなナイーブ過ぎる理由では、社会人は音楽に没頭できない。いろいろ忙しい時間を調整して、可処分時間をひねり出し、音楽に従事するには、それなりの理由を必要とする。
虚心坦懐に音楽に近づいてるのか、それとも、音楽抜きの世界で居場所がないからなのか。
音楽に引っ張られているのか、押し出されて音楽をやらざるをえないのか。
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というわけで音楽の上達における「白理由」の背後に、しばしばその人が音楽に向かわざるを得ない「黒理由」があることがある。*5
プロの場合比較的シンプルだ。上達が即、収入や音楽的選択肢の増加につながる。学生を含む高等遊民とプロだけが屈託無く音楽をすることが許される。
社会人の場合「白理由」の背後に「黒理由」が透けて見えてしまうことは時にあって、その切実さは、音楽にある種の凄みや重みを付与することがある。
その凄みや重みをうまく使いこなせるかは、その人次第で、重みは、使いようによっていい風にも悪い風にも作用する。切実さ、というのは「イタさ」と同義だからだ。
え?僕?
なんの話?