半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

ジャズが好きなのかなあ

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気がつくと25年ばかりジャズをやっているわけです。セッションに行ったり、ライブやったり、たまにはビッグバンドをやったりなんですけれども、やればやるほど「ジャズ」という言葉に内包される音楽の境界というのはわからない。

 どんな領域のことでもそうだけど学問的な話をする時にはまずは「定義」から始めるもんです。語義を定義して、対象の範囲を明確にしてから議論を行う。けど、ジャズに関して言えば、この「定義」こそがもっともむずかしいんじゃないかという気さえする。

 例えば、アフロアメリカンの粘るビート・グルーヴ、スウィング感とか、そういうのは私も当然好きなわけですけれども、でもじゃあボサノバはどうかというと、ボサノバも好きなわけです。自分でライブするときには、セットリストに結構ボサノバとかサンバとか入れてる。ジャズでボサノバはやるけど、じゃあボサノバがジャズかっていうと、それけっこう微妙な話なんである。

 そういうことをふまえて深く考えると、

僕が好きなのは本当にジャズなの?

と自問自答してしまうわけです。少なくともブルーグラスの人がブルーグラスを好きなようには、僕はジャズが好きじゃない。多分。

 この話は学生の時に散々考えたが、あまり明確な答えも出ず、最近は演奏することをまあ優先させてあまり考えないようにしていたのだが、最近思うのは、僕は「ジャズ」が好きなんじゃなくて「リードシート・システム」とでもいうべきジャズコンボで用いられる演奏の形態が好きなんじゃないか?ってこと。

リードシート・システム。

今、仮称してみたが、つまりメロディーとコードフィギュアの比較的シンプルな「設計仕様書」を元にその場で音楽を構築するスタイルのことだ。

これの極北がジャム・セッションであるが、もう少しかっちり作り込んだものも含めて、音楽の中に、ある程度自由度を残した形態だ。

 リードシートには最低限の取り決めしか書かれていない。そこから、自分のスタンスで音を出していかなければならない。もちろん、他のプレイヤーとぶつかることもあるし、噛み合うこともある。偶然が重なりとんでもなくいい演奏になる可能性もある反面、ちょっとしたボタンのかけちがいで、ズタズタになってしまう可能性もある。

そういった意外性・ダイナミックさが、僕は好きなんじゃないか。クラシックにしろ、ポップスにしろ、ロックにしろ、音がなりだしてから音がおわり一曲が終わるまでの間の形は、比較的スタティックなものだが、いわゆる『ジャズ』と但し書きがついているような場合は、予定調和的な展開を裏切っても(結果いい演奏になりさえすれば)罪はない。

聴き手からすれば、あまりピンとこないと思う。ただプレイヤーの立場からすると、この言葉は結構便利だと思います。

「ずっとクラシックやってきましたけど、今ジャズも勉強してます」

と言われると、何?ジャズをお勉強?とちょっともやっとするんですけど

「今リードシート・システム勉強中です」なら、うんまあ頑張って、と言いやすいかも。

リードシートというのは簡単なものではあるが、正調のコード進行を、ちょっと記載を変えるだけでハーモニーの解釈の違いまでも表現できる。しかも演奏者の主体性も残したままで。

こういう玄妙さは、飽きることがない。セッションで既成の『黒本』を使っているだけでは、このリードシートシステムの面白さを堪能しつくしているとは言えない。マクロやVBAを使わないエクセルみたいなもんだ。