半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

練習と貯金 その2

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前回(練習と貯金 - 半熟ドクターのジャズブログ)の続きです。

幸福とはなにか?不幸とは?

 おそらく幸福か不幸は、「お金」=技量の絶対量ではなく、収入と支出のバランスがどれだけ均衡しているかによるのではないか。
 やりたいことがあるが達成する能力がない、例えば、この曲やりたいけど難しい。これは「買いたいけれどもお金が足りない」状態ですね。これは確かに不幸。

 収入は多ければ多いほど嬉しい。これは当たり前です。
 しかし先ほどと逆にお金があり余るほどあるのに買うモノがない、という事態は、これはお金が無くてモノが買えないのと同様、もしくはそれ以上に不幸な場合があります。
 それは、端的にいうと愚かしさの証左だから。

 企業財務会計を考えれば、わかりやすい。企業では積み上げた黒字を使わずに死蔵するのは(経営の安定性には貢献するものの)よくない。リソースを死蔵させるのはつまり機会損失であるから。
 演奏能力=「所持金」を増やすんだって多大な時間を浪費します。学生の有り余る時間は、社会人では限定されてしまう。月並みですが、学生時代の時間の使い方は有意義に使われるべきです。それに本当のお金は交換・譲渡が可能ですが、今回例えている「お金」は本人しか使うことができないわけだし。

 吹奏楽部出身で楽器はとても上手なんだけど、アドリブができない吹奏楽出身のプレーヤーが、なぜ不幸かつ残念かというと、沢山お金は儲けたのにそのお金の使いみちをうまく設定できていないで、銀行に死蔵して使わず終わってる状態だから。

 そのためにはお金=技量をうまく使いきる方法を勉強し、理解しておく必要がある。

お金の使い方にはスキルが必要

 これをあえて強調するのは、練習を地道に行い貯金が溜まるだけでも人は相当な快感を得ることができるからである。自分の実力が蓄積されていき、自尊心が満たされると、練習のための練習を繰り返して、学生時代が終わってしまう。積み上げた自分の演奏能力=資産を、うまく使う方法は、練習で演奏能力を拡大するスキルとはまた別なので、別に習得する必要がある、ということになる。

 そういう観点がなければ、学生ビッグバンドを引退したジャズ研部員4回生が、コンボに転身して小難しいバップのテーマを完コピしたり……なんて、どこの大学でもみる風物詩のようなものですが、楽器は超絶うまいのに、どうにもださかったり。そして、今ひとつコンボに馴染めず、コンボへの進出をあきらめて、卒業してゆく……なんてパターン腐るほどみてきました。
 
 ひと言でいうと、お金の使い方が身に付いてないんですよね。まるでバブル期の日本人のように、有り余るお金でいいもの買ってんだけど、今ひとつセンスがないっちゅうか。定年退職したときに、退職金としてまとまったお金を得たけれども、お金の使い方を知らないサラリーマンの悲哀に似たものがある。


街場での雑感

 私はセッションによく行くのですが、 
「楽器のテクニックを磨く練習はいい加減にして、自分の楽器のテクニックを使い切る練習をしたらどうか」
と嘆息することはよくあります。

 前述したような、吹奏楽もしくは学バン出身で、楽器はめっぽう上手くて、Bopの難しいテーマなんかすらすら弾けちゃうのに、アロリブのメロディメイクがなってないようなソロはクソだせぇ。
 その一方、セッションに来る中級者以下のアマチュアは、単純に楽器のテクニックが足りてなくて聴いててモヤモヤする。もし楽器の技量が交換可能であれば、少しあいつに融通してやれよ……とか思ったりします。

テクニックと出音のバランスが過不足ない状態は、非常に滑らかで聴きやすいですが、あまりいません。

セカンド楽器のススメ:

 それでは、技量をうまく使い切るためにはどうしたらいいだろうか?
 一つにはセカンド楽器として、自分がうまく馴染めていない楽器を触ってみることであろうか。
 プロはセカンド楽器でもとてもいい演奏をするが、別に器用なんではなく、自分のテクニック=お金を限界まで使い切る、その見極めがとてもうまいからだ。
 中嶋悟は軽トラでも早い、という逸話のようなものだ。

結論めいたもの

 人生の幸福度が生涯獲得賃金によって決まるのではないのと同様、楽器の上手さというのは我々のジャズ人生にとって、本質的なファクターではありません。*1

 もちろん、我々の幸福度がお金の多寡に影響される程度には、楽器の上手さは我々のジャズ人生の幸福度に影響を与えるでしょう。

 金額の多寡はありましょうが、短期的に、つまり卒業の時点で、賃借対照表が収入・支出とんとんになっているのは比較的望ましい状態と言えます。あまりに残高がありすぎる状態は、むしろ不幸です。

 学生について言えば、一年生から四年生(もしくはそれ以上)まで、線形に技術力=お金の量が向上し続け、それに見合った難度の課題(コンボであるとか、ビッグバンドであるとか、ソロだとか)をクリアしてゆくのが、いいんでしょうけれども、なかなかすべての人間がそのような幸運な経過を取れるわけではない。しかし、可能な限りお金の獲得と使用にひどいギャップがないようにしておく心構えが必要だと思います。

 我々「ゲーム世代」としましては、そういう風に練習=貯金と発表=消費のサイクルを繰り返すイメージを持って大学時代を送ることをおすすめします。無目的に練習をしても、途中で頭打ちになりますからね。

 残念ながら、社会人になってからは殆どの場合、手持ちのお金=楽器の演奏能力は上昇しません。*2
 しかしお金の使い方、つまり限られたテクニックの中で上手く表現することについては、社会人の限られた練習時間においても、向上させることは可能です。社会人の「いい感じ」の演奏はそのような経験によって裏打ちされていると思ってください。

 ま、しかし、あんまり収入支出がとんとんだと、それですっきりしちゃいすぎるという弊害もあります。自分のことを振り返ると「大学の時にやり切っていないんじゃないか?」という未練が未だに音楽に向かわせる原動力になっている気もしますから。人生万事塞翁が馬という言葉どおり、人生を通してみた場合、結果的に何が望ましいのかなんて、案外わからないものです。

*1:プロになる場合は別ですよ。楽器の技量の絶対値を追求する必要は当然あるでしょう

*2:時々例外もありますし、全く上昇しないわけでもないですが、明らかに学生の成長速度よりは落ちます。プロは別です。