半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

上達の意味とは その1

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問い:大学のビッグバンドに所属しています。
同級生には「プロになる」と息巻いている人もいます。
正直にいうと、私にはそこまでの覚悟はありませんし、それなりの大学に入ったんだし、将来はそれなりに就職をするんじゃないかと思います。
 つまり、今は本気で楽器をやってますが、それは一生の仕事ではないわけで、あくまで趣味の範囲の話なんですよね。練習でうまくなっても、それに何の意味があるの?と思っちゃったんです。
 一旦そう思うと、練習のモチベーションが下がっちゃうんですよね……。

 はい、非常に根源的な問題ですね。

 バカは、猿のように練習をし、その結果見事な留年や退学ぶりをみせつけてくれます。しかし大化けしてプロになる場合もある。
 ちゃんとした人は、大学を中退したり留年せず卒業します。そういう人は練習すること上達する事に対しどうやって向上心を保てばいいのか。

プロになる?

 音楽で身を立てようか悩むのは、プロミュージシャンになるということと、普通の(非音楽的な)就職を天秤にかけるということです。
 モラトリアム期の器楽奏者の多くはキャリアパスは明確ではないまま課外活動として音楽活動をスタートさせることが多いと思います。

 この場合、楽器の練習・音楽に時間を割くことは、他の(勉学、他の実技)トレーニングの時間を奪う。「練習」は機会喪失という意味ではマイナスです。
 最初からプロミュージシャンを目指す少数の人を除けば「なぜ練習するのか?」という命題を自問しない人は少数派だと思う。そういう人が「プロになる」と決めた瞬間、価値観が逆転し、練習をすることが純粋に肯定されるわけですけれども。

秤量

 プロになるかならざるべきか。
 これは純粋にバランスの問題です。音楽の技量が優れていれば、プロへの道が優位でしょう。一方の「普通に就職する場合」の条件がよければ、プロに「ならない」方が有利でしょう。
 もし今、あなたがこの選択肢に悩んでいるならば、それは、どちらのビジョンにもそれなりの公算があるんでしょうね。凡人にとってはプロミュージシャンの道は絵空事に近いはずですから。

 逆に代案である「普通の就職」に大きな期待が出来ない場合、プロミュージシャンに強い方向付けを持たざるをえない。音楽専修の専門学校生や音大生などはよい例ですね。また学生生活を音楽に捧げているような輩は、しばしば留年・退学をやらかしますが、この場合、代案である一般就職の条件を自分で下げていることを意味します。いわば退路を断つ形で、音楽の道に進まざるを得ない状況に追い込まれる場合がある。

* *

 私は神戸大学の軽音楽部出身でしたが、一応痩せても枯れても国立大学ですし、医学部ですし、普通の就職にも十分な魅力がありました。また、山野ビッグバンドジャズコンテストの常連校というのは、阪大であったり早稲田慶應であったりと、やらしい話ですが明らかに偏差値と正の相関があります。
 新卒での就職の条件は学歴に依存するというドクマが未だに有効であるならば、こうしたコンテスト上位校の高い音楽演奏スキルのを学生達は、ミュージシャンへの道、一般就職への道いずれにおいても、多くのアドバンテージを有していることになります。このような大学生には、ミュージシャンになる選択肢も、そうでない選択肢も十分に魅力的でしょう。だが、基本的には選ぶことができるのは一つ。
 少なからぬ数の楽器奏者達がミュージシャンになるか否かという選択で身を焦がした経験があると思います。

 こうした状況に陥っている若者に希望を抱かせる(もしくは道を誤らせる)事実は、現在のプロミュージシャンがすべて音大とか音楽専門学校卒ではなくて、普通の学部からプロの道に進んだ人間が少なからぬ数を占めることでしょうか。
* * 
 プロミュージシャンと呼ばれるようになっても、それで悠々自適に食える人間はそれほど多くはないという事実もあります。

 もちろん、経済的インセンティブがすべてではありません。が、人生の選択において大きな要素を占めていることも否定出来ません。最終的には、扶養家族を持ちながら音楽に専念する生活を送れる人間は一握りです。

 純粋に経済的な側面からみる限り、残念ながらミュージシャンはそうでない道よりも低い生涯賃金に甘んじるということを意味します(もちろんこれは統計的な傾向に過ぎません。一発当たればでかい。けれども、それは確率的には非常に低いという現実があります)。「好きなことをやって生きていく」というプライスレスな価値にどれだけ重きをおくことが出来るかにかかっているでしょう。

ではどうするか?

 冒頭の問いに戻ります。
 実際のところ、プロミュージシャンなんてそうそうなれるもんではありません。(だからこそ僕らはプロフェッショナルなミュージシャンを尊敬するのです)。しかしその事実は、しばしば練習に向かう我々を意気阻喪させます。

 今ひとつ練習が伸び悩んでいたりする時には特にそうですし、ゼミのレポートや試験など「本業」で忙しくなった時などにもますますそう思うわけ。

 なーんでこんなに練習しているのか。

 プロにならないのであれば、それなりの練習でいい?

……それは何か違うような気がします。

 好きなんだからやってんだろ?
  見返りを考えてすること自体が間違いなんだよ。

……確かにそうかもしれませんが、その考えもちょっとナイーブ過ぎるように思います。そんな綺麗事では自分の心を納得させられることはできません。

 趣味なんだから、所詮どんなにやっても自己満足以上のものはないよ。

……あー!いわないで!それいわないで!



 生涯の仕事を音楽以外の道に定めようとする人間は、何を拠り所にして練習すればいいのでしょうか?

上達する意味とは その2 - 半熟ドクターのジャズブログ
(その2に続きます)