半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

Who is the Best Jazz Trombonist ?

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さて、一応ジャズトロンボーン奏者の最高峰というと Jay Jay Johnsonと Curtis Fullerの二人ということになっている。

世間ではそうなってる。これは間違いない事実だ。

ところで、三人目の男は誰か? 
というと これが難しいよね。
 
Slide Hamptonを挙げる人もいるし、Frank Rosolinoかもしれない。
勿論ジャズ黎明期が好きならGlenn Miller,Tommy Dorseyも有り得る。
コンテンポラリーならSteve Turreだろうか、Conrad Herwigだろうか。
少々Funkよりだが、Fred Wesleyも好い。
Jack TeagardenだってUrbie Greenだって、奏者としての実力を言うのならBill WatrousやCarl Fontanaだって考えなければ。

百家争鳴するうちに、満場一致で決まった筈の御大二人に対する疑問も再燃する始末。
実際この二人をトップトロンボーン奏者とする根拠はいささか薄弱な様にも思える。

ヘビーなジャズトロンボーンリスナーの多くはトロンボーン吹きだったりもする。
批評が出来る程度にトロンボーンジャズを聴き比べた人間のほとんどはプレイヤーでもある。
そうすると、リスナー自身のプレイスタイルに評価が影響されてしまう弊がある。
プレイヤーがベストジャズトロンボーンを決めようと試みると我田引水的なバイアスが掛かってしまいがちである。

トロンボーンの両雄

残念ながらJ.J.はつい最近自殺してしまったが、Jay Jay Johnson、Curtis Fullerの二人はデビューしてから現在までおおよそ途切れることなく活動を続け、アルバムも継続して出している。とはいうものの、メジャーなジャズシーンから見れば J.J.は50年代以降はほぼ抹殺されているし、Curtis Fullerにしても60年代以降、第一線から姿を消した。

メジャーなジャズシーン、ジャズ史的な視点では二人はその後いないも同然。
口悪く言えば、結局デビュー当時が一番目立っていたわけである。
その幸福な10年間の後は「昔取った杵柄」的な扱われ方をしていると言えなくもない。

しかしこの「杵柄」が案外大事だ。
他のトロンボーン奏者達は、一瞬でさえも杵柄をとることさえできなかったのだから。

逆に言うと、純粋に作品の質を基準に評価するなら彼らよりも優れた作品を生み出しているトロンボーン奏者は何人も挙げることが出来る。

というわけで、二人が二大トロンボーンと呼ばれているのは、その演奏者としての能力によるよりも、むしろポピュラリティに負うところの方が大きい。
ビバップの時代から一人(J. J. Johnson)、ハードバップの時代から一人(Curtis Fuller)をそれぞれ選出すれば、その結果二大トロンボーンニストができあがる。
逆に言うと世間の人はこの二人以外はそもそも知らない。

確かに、ビバップ時代のJay Jay Johnsonは他の追随を許さなかった。
テクニックも完全に頭抜けていたし、一線級のBopperと共演しうるトロンボーンは彼だけで、完全に独占企業といってもよかった。
ハードバップ時代のCurtis Fullerだって同様で、あれほどアルフレッドライオンに愛されたトロンボーンもいるまい。

実際にJay Jay Johnsonも Curtis Fullerも技術的にすばらしく、完全に技術的な評定でも頂点に君臨する可能性は大きい。
しかし技術的な評価ならもう少し混戦になるはずなのである。
常に彼らが双璧と持ち上げられ、それ以外のトロンボニストが欄外に追いやられている状況はなんらかの理由があると考える。

第三の男

 では、そういう状況に至っている原因は何か、
 そして三人目の男は誰なのだろうか。

ビバップのJ.J.、ハードバップのFullerと同じく「時代と寝た」*1トロンボーン、つまり歴史的な観点で、もう一人を選出するなら、これは間違いなくGlenn Millerであると思う。
黎明期ビッグバンドの巨匠かつ、トロンボーンの長所を押し出したメロディ、タレント性、レコード売り上げ。非ジャズ愛好家の知名度でもグレンミラーは絶大だ。
なにしろ映画にもなっている。

ではなぜ三大ジャズトロンボーンとは言われないのか。

おそらく三番目がGlenn Millerだと、面白くない人がいるからである。

日本のジャズ評論およびジャズ愛好家の多くは『ハードバップ原理主義』であることが多い。『黒人ビッグバンドの上っ面をなでたような』白人ビッグバンド(ベニー・グッドマンを含め)は圧倒的に人気がなく、ジャズとしてすらも見なされていない。グレンミラーなどジャズの巨匠として認めるなど、沽券に関わるのであろう。

黒人が公民権を獲得した後の米国ジャズ評論・ジャズ研究においてもこの史観が優勢である。かつてあれほど隆盛を誇った白人ビッグバンドは、当時の絶大な人気の割には現代冷ややかな評価を受けており、その間には相当な解離がある。当時の社会的な影響力を再考すれば現在のGlenn Millerの評価は不当に低いという気がしないでもないが。

 つまるところGlenn Millerは「スウィング」ではあるが「ジャズ」ではないというところだろう。
 もう一つの理由は、Glenn Millerは器楽奏者としての押し出しが弱いことだ。勿論Glenn Millerもトロンボーンを吹くには吹くが、バンドリーダーとしての意味合いの方が強い。Ad-libなどもほとんど吹いていないし「トロンボーン奏者」という観点で評価するにはちょっと苦しい。

 二大トロンボーンというのも寂しいが、三大トロンボーンというとなるとGlenn Millerははずせない。だが、それは面白くない。サックスみたいに巨匠が10人も20人もいればいいけど、Glenn Millerを越えて取り上げるべきプレーヤーは大していない。

しょうがない。トロンボーンはこの二大トロンボーンでいいだろう。

きっとこんな経緯で永世二大トロンボーンになっているのではないかと私は想像しているのである*2*3

(2000.初稿 最初は読者に問いかけて中途半端に終わっていたのを2018.加筆)

*1:これは主に女性に使われる形容詞ではあるが

*2:あと、ではJJとカーティス・フラーとどっちが上か、みたいな問題、それから本当はもう少し重要視されていいJack Teagardenという問題も残されてはいるが……

*3:最近ではトロンボーン・ショーティーは「時代と寝た」感を醸し出しているように思える。まあショーティーはジャズという枠じゃないですけどね。