半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

吹奏楽の桎梏〜ブラバン出身プチ侍の行く末 その2

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問い:中学・高校はブラスバンドでした。大学に入ってジャズがしたくてジャズのクラブに入りましたが、アドリブがよくわかりません。
 どうしたらいいでしょうか?

前回の続きです。
jazz-zammai.hatenablog.jp


アドリブをするにはどうしたらいいかという話です。
本心からアドリブをしたくないという人は滅多にいないに関わらず、基本的にアドリブをしようとするトロンボーンの人はそれほど多くありません。

それは、アドリブソロが出来るまでに要する習得時間が長いこと、
トロンボーン「経験者」にはアドリブ以外にも十分「仕事」があるという事実。
またトロンボーンのアドリブは、サックスやトランペットほど需要がないことなどが原因だと思います。
トロンボニストの心性として独奏を好まない、ということもあるでしょう。

人は、自分が必要とされる場所でこそ頑張りたいと思うものです。
アドリブはトロンボニストが必要とされている場所に於いて必須のチケットでないことが多いのであります。残念ながら。

アドリブに関して、だから僕はあえて薦めはしません。
労多くして、功少なしという言葉も、あながち間違いではないとも思います。

しかし、こうした現状だからこそ、トロンボーンのアドリブは希少価値があります。
アドリブの効くトロンボーンはどこにだって重宝されます。
セッションに平気で出掛けるトロンボーンになるのは少数派ですが、あなたもそういう人になってはみませんか?
やはりジャズをやるんだったらそうしたアドリブの一つも出来た方がかっちょいいではありませんか。

自分の話

実は僕こそがこうした「経験者」トロンボーンの典型的な男でした。
しかもピアノなどの経験もなく、ヘ音記号しか読めないし、音感もない。
まったくアドリブに対してプラス要素のない状態でした。
当然才能もありません。

アドリブが出来るようになるまでに、僕はそれなりに苦労をしました。

その過程でいろいろ勉強もしましたし、逆にどういう練習がジャズに必要かということを学びました。
音楽的才能に関してはまったく冴えない私ですが、客観的に分析し言語化することに関してはそれなりの能力を有していると自認する私は、だからこそ新人のトロンボーン「経験者」が、アドリブのためにどう練習すべきかということも他の人に比べるとわかっているつもりです。

間違いなくいえること

少なくとも、練習方法を変えることが必要です。
変えないまでも、プラスαでバップイディオムに必要なトレーニングをするべきでしょう。
日本のブラスバンド部の練習方法というのは驚くほど均質化されています。
これは若年の段階からとりあえずアンサンブルに参加させることを主目標に練習させるからです。

軍隊教育と一部似通っていますが、基本的にブラスバンドの教育とは量産型志向=マスプロ志向であって、プロトタイプ志向ではないのです。*1

だから中高の吹奏楽部では、まず型にはめること、型に従って吹くことがまず要求されます。
音楽の理論的なアプローチは、重視されません。
「音楽家=Musician」になることではなく「演奏者=Player」になることをまず求められるからです。

アドリブをするためには、やはりMusicianになる必要があります。
でも、大抵の『吹奏楽部経験者』は中高時代の演奏者を育てる練習方法から発展することが出来ず、過去の成功体験にひきずられて、質的な飛躍をしないままずぶずぶと埋もれていくことが多いのです。

「経験者」は今までの練習方法にこだわります。
人は成功していることに固執するからです。
経験者は楽器をコントロールする点において初心者よりは優れており、そのために初期段階でアドバンテージを得ることが出来ます。
その中途半端な「成功」がその後の練習方法のブラッシュアップを阻んでいる事例を幾度か目にしました。

もう一度いいましょう。
練習方法を変えることが必要です。
数学ばかり勉強しても日本史は出来ません。
楽器を鳴らすことに関しブラスバンド的練習に間違いはありませんが、そればっかりやっていても決してアドリブは出来ません。

少し、内容が重複しますが、まず「音感のトラブルシューティング」をみて下さい。
jazz-zammai.hatenablog.jp

もし君がアドリブをやりたいのにアドリブの出来ない人間であれば、この中のパターンのどれかに当てはまると思います。
勿論、それによって解決策は異なります。
必要なトレーニングをやれば、でも「センスがない」といわれることはないと思います。

(2008年初稿 2019年改稿)

*1:この辺は教育学もポストモダンになっているのではないか、と期待しているのだが、やはり地方に住んでいる限り、コーチングとかの新しい手法を取り入れた音楽学習はまだまだであるようです