半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

ピッチの話 その1 ピッチの意味論

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最近の僕にとって*1、音程に悩むのは以前ほどではなくなった。

楽器を始めた学生の頃は僕はあまりピッチがよくなかった。
だが、中学生・高校生、そして大学一年生くらいまで、
今思うと、ピッチが悪いころは、実に「ピッチが悪い」ということさえもわからないレベルだったのだ。
とことんよくなかったのだ。
自分がブサイクであることすらわからないくらいブサイクだったわけである。

* * *

大学二年生の時にとんでもなく音楽的に優れた後輩が入ってきた。
彼女はあきらかに自分よりピッチがよかったので、ピッチの悪さに自覚的にならざるを得ず、それが改善につながったような気がする。

ピッチの悪い人間が、自分のピッチの悪さを自覚していることは殆どない。
逆に言うと、自分のピッチの悪さを自覚しながら、確信犯で音程の悪い音を出し続けることに、多くの人は耐えられない。
ブサイクと知りつつ、ノーメイクブサイクでいつづけることは出来ない。

ゆえに、自分の中のピッチの精度以上には、出音のピッチの精度は上げることはできない。
これはある種当然のことだ。

* * *
 
トロンボーンは、音を離散的ではなく連続的に取り扱わざるを得ない楽器である。
その点ではこの楽器はボーカルと本質的には同じだ。

ま、これはフロント楽器はみな同じ。
ことさらトロンボーンに限った話でもない。
音程の悩みから完全に開放されているのはピアノやオルガンだけ。
音程に自覚的でないと、ジャズ語法を実地適用できない。

たとえば、サックスもボタンを押したら正しい音程がでる、なんてことはない。
音程はそれぞれのポジションごとに口で細かく合わせないと、正しい音は出ないらしい。
しかし初心者の時は、運指どおりに動かしてその音を出すかで精一杯。
 
ピッチが悪いといわれるけれども、よくわからない人は、あまり残響音が響かないところで(トイレとかが適当だ)ドレミファソラシドと口ずさんでみればいい。基準がない状態で、自分の感覚の中にあるIntervalだけを頼りにを音階を歌うのは、結構難しい。

これをやれば、自分のピッチの悪さが、少しはわかるかもしれない。

Non-Diatonicとピッチ。

 
しかし、あまりにもピッチに対して先鋭的にありすぎる場合、ジャズ語法の多義性を阻害してしまうのかもしれない。

オルタード、ホールトーン、コンディミは、ジャズでよく使われる3大イキりフレーズだが、これは平均律の12音階の中で、ある種の理論的な対称性を優先させた結果のもので、生得的にシンプルな美しさをもっているわけではない。

響きの濁りをある程度許容しないとこれらのスケールは成立しない。
楽器の音の響きやメロディーの歌い方の綺麗さを純粋に追求していけば、純正律における「調和」を意識せざるをえない。
が、その場合、コンテンポラリーな語法そのものが立ち行かないのである。

ジャズの小難しいスケールは、いわゆるダイアトニック・スケールにおけるピッチのよさとトレード・オフの関係にある。
おそらくドレミファソラシドを完璧な純正律で弾くことに器楽能力を傾けた場合、オルタードスケールは弾けなくなる、はずだ。

クラシック上がりの奏者の中にはその器楽能力の高さの割にソロがダイアトニックから離れられない人がいるが、それはそういうことなのだろう。
もちろんメシアンを始めとする現代音楽まで時代を下れば、クラシックだろうが関係ないだろうけれど。
キース・ジャレットも、純正律調律のピアノで、よくわからないアウトスケールを弾いたりする。
全く……調香師のようなセンスがあるんだろうな。

つづく。
(2008くらい 初稿)
 

*1:2008年くらいのテキストです