半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

セッションのバランシングとマネジメント:

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2019年、遥照山

ジャムセッションの進行にはいろいろな形態がある。

  1. マスター(ホスト)が管理して、メンバーをコールして参加するパターン。
  2. 参加表に名前・パート・やりたい曲とかを記入するパターン
  3. やりたいやつはステージに上がり、誰が決定権を持つわけではなく適当にセッションが続くパターン。

1.がもっとも秩序立っており、2.3.にいくにつれて混沌の度合いが増すことになる。

3.は例えば、軽音、ジャズ研の部活などで自然発生するセッションとか、特に形式を決めないセッションの原初状態だ。
 また、参加人数が少ない場合も、そんな感じになる。
対照的に1.はプロミュージシャンが仕切っていたり、有名なライブハウスの主催など。
 参加人数が多い場合、参加者の満足度を均てん化するためには、なんらかの管理をした方がよい。
 (やったもん勝ちになりがちだからだ)
特に、リズムセクションが同一楽器に複数いる場合は、組み合わせが偏らないよう、ある人だけ回数が多くなったりしないようマスターが腐心してメンバーの組み合わせを調整し、セッションに参加曲数をカウントしたりしている。

 曲の選択については、様々だ。
 参加者のレベルが高く、だいたいどんな曲でもできる場合は集まったあとでなんとなく決める。
 初心者でレパートリーが少ない方がいる場合は、その曲で優先的に加配する場合もある。
 曲が先に立つような場合もある。「Ipanemaやるんだけど、やりたい人!」みたいな形で募るような場合。

* * *

1.のようなしっかり管理されている場合は、リズムセクションも均等に順番がまわり、組み合わせも多彩で、結果的にバリエーションの豊かなサウンドを楽しむことができる。*1
まあしかし、1であろうが2であろうが3であろうが、リズムセクションに関していえば、各パート一人ずつしか参加できない。
だから絵面としてはそんなにかわらない。
きっちり管理すれば、公平で、満足度の均てん化が期待できるが、その程度だ。

一方、管理をきっちりするかしないかで、アウトカムが変わってくるのがフロントだ。

* * *

1. きっちり管理するセッションの場合は、大抵はフロント(ボーカル・ギターも含めて)は1〜3人まで。平均すると2人くらいだ。
逆に3.の管理しない状況では、フロント楽器が4,5人いれば、すべての曲で全員参加する、みたいな状況も起こりうるわけだ。
フロント楽器も、初心者でやる曲が限られていて2,3曲しか参加できないなら実害はない。
しかし、中級者で演りたいさかり。「あオレこれできるかも?」症候群で、できる曲はすべて参加する。
一歩も退かない、みたいな場合は、非常に暑苦しいサウンドになってしまう。
この「中級者、やりすぎ」パターン、しばしば出くわす。*2

* * *

フロントが四人いて、それぞれがソロをとって、ピアノ、ベースもソロをして、挙げ句の果てにはお定まりの4 barsもやって…みたいな構成の楽曲は、ダラダラ長いだけで、曲全体の起承転結を作りにくい。

公平にソロをとる、という観点では間違いないかもしれない。
リズムセクションの人間にしてみれば、楽曲単位での盛り上がりができないので、あまり面白くない。
また、聴き手目線で考えても、どの演奏も金太郎飴のようになるし、楽曲を通しての緊張感もなくなる。

リズムセクションはカラオケじゃないんだ」という苦言がリズムセクションから発せられる場合、
ただたんにフロント楽器が自分のソロしか考えていないようなソロがダラダラ続いたり、想定範囲以外のことをリズムがやるとフリーズしたり怒ったりするボーカルの演奏に付き合わされた時だ。

ある程度経験を積んで、ソロの中だけじゃなくて楽曲全体の構成を考える奏者には、こういうフロントソロが多い場合は、苦痛でしかない。
三人から五人くらいが、お互いの考えを汲み取って一つのサウンドに仕上げ、楽曲として完成度を高められる限界人数なのではないかと思う。

* * *

ただ、Bop黎明期には、ジャズクラブでの客向け演奏が終わったあと、深夜から明け方までプレイヤー同士がソロを対決していた(カッティング・エッジコンテスト)。
こういうシチュエーションでは5-6人、もしくはもっとたくさんのフロントプレイヤーが、次々とソロを演奏し、お互いの技を磨く。
一曲は数十分にもなったりした。
J.A.T.Pとかのレコードに往時の雰囲気は残っていたりもする。
だから、フロントが続々とソロを取るような形態はジャズの歴史にあるのだ。
不正解と断じることもできないのは、そういうことだ。
しかしBe-Bopはそういった構成美のなさが弱点で、Hard-Bopの台頭につれて、駆逐されることになったことを忘れてはいけない。

* * *

ジャムセッションのもう一つ大きな側面は、共演することによるコミュニケーションだ。
「同じ釜の飯」もしくは、インディアンのタバコのまわし吸いのように、同じ場を共有することによって打ち解ける。
そういう目的のためには、この「カッティング・エッジ形式」は有用だ。
なので、セッションの最後の曲は、
1.の管理されたセッションでも、最後は「大団円」って感じで、全員が参加し、構成美にはこだわらず「みんなで演奏」するセッションは多い。

セッション全体をアレンジする

聴き手も、プレイヤーも飽きがこないようにするためには、一曲一曲プレイヤーを変えつつ、楽曲のテンポ・長調短調、リズムパターンなども変えて、できるだけ与えられたカードで、可能な限りの多様性を生み出すことができれば、よいセッションであると言える*3
ライブと違って、セッションが唯一優れているところは、プレイヤーのカードの多様性がさらに多いことだ。
素材がいい=優れたプレイヤーが集まっている場合は、あまり考えなくてもいいかもしれない。多くのジャズプレイヤーは複数のスタイルを使いこなせるし、どんな曲だってこなせる。
曲の選択肢やプレイスタイルが限定される中級者の場合は、得意なジャンルを見極めてうまくマッチングしないといけない。
いずれにしろ、セッションに参加するプレイヤーの満足度を均てん化することが必要だ。
同時に聴き手の満足度も高めないといけない。
聴き手〜プレイヤー(上級者〜中級者〜初心者)すべてを満足させることは難しく、いくつかはトレードオフの関係にある。
そして、店の要求する優先度も、方針によって異なる*4
その辺りのバランスを取るのが、セッションのマネジメントの醍醐味と言えるだろう。

自然発生的に生まれた、3.のセッションにおいても、そういう視点で取り組んでみると、また違った気づきが得られるかもしれない。

*1:もちろんそこには功罪両方あって、リズムセクションには技量とは別に相性のようなものもあり、ピタッと噛み合う場合もあるし、惨憺たる結果に終わることもある

*2:私も昔そうだった。一歩も退かない状態だった。ある程度出来るようになってから、引き算を覚える。

*3:もちろんこれはライブでも言えることだ

*4:例えば初心者向けセッションであれば、初心者にはかなり配慮されることが要求されるが、逆に聴き手にとってはつまらないサウンドになる可能性はある。また中級者以上の方にとっての満足度もかなり下がるかもしれない。反対にIntroの様な店であれば、聴き手の満足度にも配慮されバランシングすることになる。来店している人がほとんどプレイヤーというスタジオセッションのような形態であれば聴き手の満足度は考慮しなくてよい。また仄聞するNYの本気のセッションは、公平に満足を分かち合うためではなく、勝ち残るためのセッションなので、初級者・中級者に満足度は分配されない。Winner Takes All。