アドリブの楽しみ方 その2
その1のまとめ
- 出発点はあくまでメロディー
- メロディーを少しひねったりすることがアドリブの出発点
- メロディーと同じコード進行を繰り返し、その上で色々な音を出してゆく
あくまで出発点はメロディーです。
しかしジャズは前回の「聖者の行進」のように、メロディーの変奏をつきつめてゆく方向に発展していきます。
* * *
そもそもの話ですが、基本的には曲には、もりあがりや展開、いわゆる起承転結のようなものがあります。
図示すればこんな感じ。多くの曲は前半よりも後半にむけて盛り上がる構成をとります*1。この原則は、どのジャンルでも変わらない黄金則だと言えましょう。
問題は、この「盛り上げ方」に対するアプローチが異なるということです。
ではまず、ジャズではない例として、ポップス。
Misia "Everything"を挙げてみましょう。
みんな知っている有名曲。今やMISIAも紅白のトリをつとめる国民的歌手になってしまいましたが。
なのでことこまかに解説はしません。ご存知のとおり歌のパートを切りわけるなら、Aメロ、Bメロ、サビと三つのセクションです。
Aメロは「すれ違う時のなかで〜」
Bメロは「いとしい人よ〜」
サビは「You're Everything〜」の部分です。
J-Popではこの「Aメロ・Bメロ、サビ」という定型構造はよくみられます。*2
この曲にはソロに類する要素はありません。
しかしMISIAのボーカルを十二分に堪能できるように楽曲は注意深く作り込まれ、盛り上がりは精密に計算されています。さすが冨田ラボ。
この曲の構成をざっと図示しましょう。後半徐々にもりあがり、クライマックスを迎えることがみて取れます。
それぞれのセクション(Aメロ、Bメロ、サビ)は後半に行くにしたがってコーラスやストリングスなどが加わりサウンドに厚みをましてゆきます。
そして特に2度目のサビ。
サビのあとインストの間奏があります。余韻を味わいつつも、一旦すっと引いたところで、ブレイク。
そして、もう一度バン!とサビが強調されます。
MISIAのボーカルのパンチ力あってこそですが、楽曲の構成がMISIAのボーカルの力を余すところなく引き出していると言えましょう。
後半のもりあがりを、完璧な構成で作り上げている。
そのためにAメロ、Bメロ、サビと様々なコード進行、サウンドを配置してカラフルな起承転結を作り上げるのが、ポップスの方法論と言えるでしょう。パズルのピースを配置してゆくかのように盛り上がりを計算するのがポップスの作り方です。
メロディーをあくまで中心に配し、それを最大限効果的に見せるために、構成に注意を払う。
逆にいうと、起承転結は、楽曲そのものの中にビルトインされている、ということです。
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対して、ジャズでは、こういう形態をとります*3。
いわゆる50年代ジャズの代表曲、Cool Struttin。Sonny Clarkというピアニストのアルバムです。
youtu.beイントロはありません)
テーマ(2コーラス)
ピアノソロ(2コーラス)
トランペットソロ(4コーラス)
サックス(4コーラス?)
ピアノソロ(4コーラス)
ベースソロ(2コーラス)
終わりのテーマ(2コーラス)
これがいわゆるコンボジャズの典型的な例ではないかと思います。
「盛り上がってへんやん?」とツッコミを入れる方もいらっしゃるかもしれません。これはどちらかというとCoolnessを前面に押し出しているからです。激しいのが好きなかたはこちらをどうぞ。Bill Evansの "Interplay"から”You and the Night and the Music”です。
youtu.be
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楽曲の構成としては、一本道で、延々とメロディーと同じコード進行を繰り返している。
この同じコード進行をたたき台にして、メロディーを崩す、もしくはメロディーに新たな要素を付け加える。
同じコード進行の中で、アドリブソロという即興演奏を繰り出すことで、もりあがりを作ります。
ちなみに、この形態はジャズの専売特許でもありません。
モーツアルトの「きらきら星変奏曲」がわかりやすい例ですね。十八世紀のクラシックですけど、ありようはジャズそのまんまです。
きらきら星変奏曲/モーツァルト/Variations on "Ah, vous dirai-je, Maman" K.265/Mozart/Piano/ピアノ/CANACANA
メロディーの変奏を繰り返してゆき、クライマックスに盛り上げてゆく。
もちろんがっつり譜面になっているので、この曲を演奏してもアドリブ=即興演奏ではありません。
ただ、おそらくはもともとはモーツアルトの即興演奏が出発点で、完成度の高い即興を譜面に残したんだろうと推察はされます。
クラシックでも同じですから、即興演奏の表現方法はどうしてもこういう形態になるのだと思う。
また、ポップスでも、こういう繰り返し構造はまれにあります。
トイレの神様/植村花菜
歌詞で長大なストーリーを紡ぐ場合も、こういう形態になります。*4
この場合はメロディーはあくまでも単調ですが、歌詞の世界ではどんどん盛り上がってゆき、起承転結が作られます。
これはこれで感動的なのですが、残念ながら言葉が通じない人には伝えることができません。
* * *
ポップスの多くは、あくまで主役はメロディー。
メロディーを最大限引き立てるために楽曲は構成されます。
対して、ジャズは違う。
メロディーは導入にすぎない。主役は奏者自身の表現といってもいいでしょう。
奏者の自己表現が最大限に優先されます。構成もソロに委ねられている。
つまり構成は、メロディメイカー(ソロを紡ぐ人)の予定調和ではない演奏に委ねられるわけです。
予定調和のない分、演奏者のその日の出来によっては、すばらしい音楽にもなりうるし、どうしようもない音楽にもなるかもしれない。
ポップスは「筋書きのあるドラマ」。
対してジャズの演奏は「筋書きのないドラマ」なのです。
* * *
曲の盛り上がり、起承転結をその場の即興演奏で作り出すことは難しいことです。
修練を積んだプロのジャズマンは、それを高い確率でやってのける。
譜面を超えて、自分でメロディーをクリエイトする力。
それを適切に導く力。 それが必要です。
そういうソロの構築力は他ジャンルからみても端倪すべからざるもので、ポップスで間奏のソロをジャズミュージシャンが担当することが多いのは、そのためではないかと思います。ジャズミュージシャンにはそういった「個人力」が
もちろん、そういうふうにソロを構築できないとソロをしちゃあいけない、というわけではありません。
ジャズにも多くのアマチュアプレイヤーがおり(僕もそうです)それぞれ自分にできうるソロを演奏します。
それはそれでかなり楽しいものです。
技術的な巧拙に限らずソロの展開のやり口というものは、その人の個性でありますが、共演者がお互いの音に耳を傾けることさえできていれば、それは感情を交えた有意義なコミュニケーションだからです。
ただし、最高峰のジャズは、最高峰のポップスやクラシックと同じく、人を深く感動させうるものです。
それがジャズに関してはアドリブソロの展開という様式の中に現れがちであることを知っていただければ幸いです。
そして、もう一つ。
これは結構大きいのですが、例えばクラシックのスーパースターみたいな人と一緒に演奏するような機会はほとんどありません。
ところが、ジャズの場合、キレッキレの現役スーパープレイヤーと共演したりする機会はそれなりにあります。
共演すると巨匠の凄さは一目瞭然。音楽の解釈がこうまでも違うものかと瞠目し、自己嫌悪にも陥りますが、明日からまた自分も頑張ろうという気にもさせられるんですね。*5
その3に続きます。
*1:もちろんすべての曲がそうではありませんし、もっと大きく言えば楽曲単位ではなくセットリスト単位での方法論もあります。大きな流れのために盛り上がらない静かな曲もあったりする。
*2:楽譜のリハーサルマークとは別に呼び方もこう称することも多いです。
*3:厳密にいうとバラードは違いますよね。バラードはむしろポップスと同じような構成美を考えて演奏する必要があります
*4:軍歌とかもこういうの多いですよね。ポップスではさだまさし「親父の一番長い日」美輪明宏「ヨイトマケの歌」虎舞竜「ロード」などでしょうか。ブルースも、おおよそこういう定型的な構造の中で歌詞が延々と続きドラマを作ります。
*5:もちろん素人と気安く共演してくれる人もいるし、素人とは一緒には絶対にしない人もいます。別に共演しないからあかんとも思います。むしろすげえプレイヤーなのにアマチュアと絡んでくれる人が多すぎるんじゃないかこの業界、とは思うんですけどね。これはポップス・ロックとくらべてもプロの演奏技術が際立って高く、タイマンだったら絶対に負けない戦闘力の高さゆえだと思っています。