コロナウイルスがジャズシーンに与える影響 その3
要旨:
- ジャズ研はコロナ禍の影響を強くうける。ジャズ愛好の学生の減少は中長期的にみるとマーケットの衰退をまねくだろう
- 学生の「ビッグバンド勢」と「コンボ勢」の分断という構造的問題が以前からある。分断の原因はアドリブに対するハードル。
- コロナは間違いなくピンチではあるが、アドリブと向き合うことができれば、同じく集団演奏が禁止され困っている他のジャンルの奏者を取り込むことができるかもしれない。
- そのためにはジャズ研でアドリブを習得できるための環境作りに、今まで以上に留意する必要があるだろう
学生:
その1でも述べたが、プロミュージシャンは何年もの濃密な音楽歴があるため、外部環境で簡単には音楽をやめたりはしません。
しかし学生の場合は全く話が別。
初学の段階で快適な音楽環境を奪われると音楽から撤退してしまう。
個人の人生に関していえば音楽以外で人生でとりくむべきことはいくらでもあるから、振り返ってみるとコロナ禍も人生の中で数ある蹉跌の一つにすぎないかもしれない。
しかしジャズの世界の側から見ると、参入の機会喪失は新規人口の低下につながる。
そうするとマーケットのパイと多様性のいずれもが低減してゆくだろう。
ジャズ愛好学生の減少は短期的なインパクトはないが、中長期的にマーケットに与える影響は大きいと思う。
学生は、未来へのある種の希望なのだ。
ジャズ研学生:
ジャズ研勢というか、ジャズ活動をしている学生について掘り下げて考えよう。
大まかにビッグバンド勢、コンボ勢に別れると思う*1。
ビッグバンド勢はビッグバンド、フルバンを主戦場としている人たち。
コンボ勢はコンボやセッションでやっている人たち。
もちろん両者は交差しているけど、ビッグバンド勢とコンボ勢は互いに断絶しているのは、その中で過ごした人間ならある程度知っていることだ。
断絶、は言い過ぎかもしれない。
フロント楽器についていえば、ビッグバンド→コンボという形で進む人が多い。
逆にコンボから始める人もいる。しかしどこかでビッグバンドを経験することもある。
このあたりの成長過程はどちらでもいいのだ。
どっちもできる人はどっちにも行くことができるのだから。
問題はビッグバンド勢からコンボに行かない人。
一定数いる……というか、むしろビッグバンドのままでジャズ活動を終える人の方が多いくらいだ。
ビッグバンド勢に留まる人も別にコンボをやりたくない、というわけでもないようだ。
ボトルネックになるのは、やはりアドリブソロなんだと思う。
アドリブソロが一定のレベルに達しない場合、コンボはちょっとしんどい。*2その場合はビッグバンドだけにとどまるわけなのだ。
構造的な問題をまとめると、
- ビッグバンド勢とコンボ勢の分断
- はっきりいうと「アドリブできない勢」と「アドリブできる勢」の分断
- アドリブはハードルが高い
ということになる。
これは古くからある問題で、アドリブの問題は我々に重くのしかかっているのだ。
コロナによって何がかわるか?
今回のコロナ禍。
ビッグバンド勢とコンボ勢、いずれもコロナの影響を受けている。
何しろ学校の多くは休校して、構内にも立ち入りできない。
ろくに入学もできていないのに入部はハードルが高いよな。
新入生の問題だけではない。
集合演奏の完成度は、集合人数とかけた時間の掛け算で決まる。
そう考えると、コンボの方が活動再開はしやすいだろう*3と思われる。
学生ビッグバンドにおける「箱根駅伝」のような存在、山野ビッグバンドジャズコンテスト(YBBJC)は今年度延期(ひょっとしたら中止)が決まった。
学生バンドにとっては活動の腰をぼっきり折られた格好になり、損失も計り知れないと思う。
ただ一年空白になっただけではないのだ。大学では活動年が決まっているのだから、今年がバンマスコンマスの学年だった学生にとっては、自分達の活動のほとんどが奪われてしまうことになる。これは酷な話だよ。*4
ただし、従来、学生の時点で早くから店で演奏活動を始めるコンボ勢の様式も、ライブハウスの活動低下により阻まれる可能性が高い。開催しやすいのは、比較的スペースを広くとった(部室とか)でのジャムセッションかもしれない。
* * *
しかしピンチはチャンス、という言葉もある。
ビッグバンド勢の「アドリブは難しいな…」と思う人も、今回のコロナ禍で、ビッグバンドの練習は宙に浮く。
それなら、自分と向き合うまとまった時間は得られる。理論の勉強をしたり、コードワークを勉強したりするには格好な時間でもある。
そう言えば僕もアドリブに取り組んだのは、阪神大震災のあと、留年し、ビッグバンドにも入れず、活動が宙に浮き、くすぶっていた時期だった。アドリブをする、しかなかったのだ。そこから僕のジャズ人生は展開しはじめた、とも思う。
学生諸君の中にも僕と同じ経験で、ふとジャズの迷宮に迷い込む人がいるかもしれない。
そうだったらいいなあと思う。
困っているのは我々だけか?
さらにジャズという枠を外して考えてみよう。
管楽器をやってた人間が大学に入学して、そのまま管楽器を続けるパターンは結構多い。
オーケストラにいったり、吹奏楽にいったりする。その選択肢の中の一つにジャズ研、ビッグバンドがあると思う。
実は、コロナ禍は、ビッグバンドだけではなく、吹奏楽にしろ、オーケストラにも影響は与えている。
現在、集団演奏自体が危機にさらされている。
管楽器の人間で困っているのはジャズだけではないのだ。
結論から言えば、このジャズ以外の勢を取り込めないか、という話である。
管楽器の集団演奏は、基本的には譜面を吹く作業になる。
もちろんオーケストラにはオーケストラの、マーチはマーチの、吹奏楽には吹奏楽の、ビッグバンドにはビッグバンドの大事なエッセンスがあるが、譜面を吹くという意味では大きな違いはない。
コロナ禍は、集団演奏から引き離されることを余儀なくされた。
そうすると、管楽器の独奏、を突き詰めて考える必要がある。
となると、ジャズじゃないか?
個人の演奏技量でいうとクラシックが最高峰かもしれないが、他のジャンルとの親和性でいうと、ジャズは割に相性がいい。今のポップミュージックのほとんどはコード進行を基礎に置いて演奏を展開するからだ。
この手のフォーマットに圧倒的にジャズは強いのである。
ただ、ジャズ研で、そこまで個人のソロの技量を高められるか。
大学のジャズ研の中には主力がビッグバンド勢で、新人にアドリブを伝授できないところもある。
きちんとコード進行を理解し、グルーブとアドリブについて理解し後輩に伝授できることができること。
もしこの二つがきちんとできるのであれば、ジャズ研は、他のジャンルから個人技を高めたい人材にとって、有用な無視できない存在になるはずだ。
そういう新入生を取り込むことができれば、ジャズ研の未来は明るいかもしれない。
望ましいジャズ研の形とは
ジャズ研の本質的な要素とはなんだろうか。
- ジャズという限定されたジャンルを演奏する
- アドリブソロのソリストの力をつける
- コードフィギュアに沿って音楽を構築する力
そもそも「ジャズ」という定義が難しい。
アフロアメリカンのリズムをルーツとするローカライズドされた音楽と規定することもあるし、インプロヴィゼーションを重視してとらえることもある。
ただ、ジャンルの押し付けは上述した個人技を高めたい人にとっては無用なことだ。
ここは、定義を広くとり、完コピ譜ではなく、コードフィギュアにのっとって演奏するシステム全般を対象とすればいいだろう。
リードシートによる演奏をすべてはジャズ研は包含すべきだ。
もちろん、その中にはベイシーをやるビッグバンドがあり、メッセンジャーズっぽいことをやるバンドや、チックコリア大好き人間がいてもいい。フュージョンも、スカパラもデラルスもPE'ZもCalmera好きな人もいてもいい。
ファンク・ヒップホップ、スカなど今の音楽に対しても親和性が高い方が望ましいだろう。
BimBomBan楽団、Calmeraなどは、吹奏楽勢にも人気が高い。こうしたジャンルに興味がある人たちを取り込むことができれば部員の獲得に成功するかもしれない。
ジャズマン=ソリスト最強、というイメージを利用し、個人技を高めたい意識高い奏者を取り込むしかない。
それはひいては「コンボ勢」の増加につながるだろう。
プロがすべきこと:
残念ながら多くのジャズ研では、アドリブソロがとれる奏者をきちんと内製できる環境は少ない。
地方都市でのジャズ研をみている限り、学生の中だけで閉じている場合、学生のレベルはジャズ研の中のレベル以上にはならないのである。学生のうちはそれでもいいのだが、大人になって社会にでてから、達成度が低い場合は、音楽を続けられないのである。
できれば、プロと学生ミュージシャンはもっと交流した方がいいと思う。
プロも学生に対しては未来への投資と思って、マネタイズはほどほどにして、教育した方がいいと思う。
その分は私らのような、おっさんおばさんのアマチュア勢から搾取すればよろしい(笑)
それが長い目でみれば、マーケットの維持拡大につながると思う。
* * *