半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

Youtube時代にジャズはどう変化するか その1

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2021, 島根

前回の続きのような話。
jazz-zammai.hatenablog.jp

現代ではApple MusicやAmazon MusicSpotifyのようなサブスクリプションサービスで膨大な過去の音源にアクセスできるようになった。

リスナー体験としては、レコードをハイエンドオーディオで視聴すると圧倒的な感動があるのは確かだ*1
しかし、プレイヤーは自分の演奏スタイルを模索するため、アーカイブ化された音源を掘り起こして行く作業が成長過程において必要である。
プレイヤーこそ、サブスクリプションサービスを縦横無尽に利用して過去の作品にアクセスする意義がある*2

またYoutubeには、膨大な量の過去のライブ動画、演奏動画、教則動画などが溢れるようになった。
コロナ禍をきっかけに、生演奏を旨とするジャズミュージシャンも動画配信を行う人がかなり増えた。

状況は確実に変わりつつある。
それでは、こういう状況の変化が、次に何をもたらすのだろうか。

動画の流行がもたらすもの

nakamuranokangae.blog55.fc2.com
中村真さんのおっしゃるとおり、動画は生演奏に劣るのは事実だとは思う。
旧世代の自分も、そこは主張しておきたいところだ。
しかし動画はCDやレコードの「音源」と比べると、情報量において圧倒的に勝るのも事実だ。

* * *

演奏のアウトカムである「音」は音源で知ることはできる。
ところが演奏動画ではその音の成立過程をみることができる。
つまり動画だと「何をやっているか」というところがわかりやすい。
リスナー目線ではともかくとして、プレイヤー目線では、一流のミュージシャンの体の動き、目配せなど、音の情報だけではわかりにくいことが一目瞭然に知ることができる。
グルーブの感じやリズムも、演奏者の動きを真似することで、習得のきっかけになることも結構ある。

それでも大都市圏に住み、ジャズのライブを簡単に観に行ける人にとっては、ライブのほうが興奮・感動も共有できるしさらに多量の情報にふれることができる。動画とライブの感動体験はやはり違うとは思う。

だけど国内でもジャズのライブなんてあまりないような地方の住人にとってはYoutubeの存在は非常に大きい。同じ人口規模でも、ジャズのコミュニティのある地方とない地方、ライブが盛んな地方とそうでない地方がある。ジャズに恵まれていない地方であっても、Youtubeなどの動画の存在は、ジャズにリーチする機会を明らかに増やしてくれるだろう。*3

日本国内だけではない。
ジャズなど全く聴く機会がないようなアジア・アフリカ、ヨーロッパの住人にとっても、動画の存在は、ジャズに触れる機会を増やしてくれる。Youtubeの動画によってジャズへの扉が開かれる人たちは随分いるだろう。
最近バークリーやニュースクールなどのジャズを教える学校には、世界中から若者が集ってくる。
これは、情報にオープンアクセスできる現代のありかたが大いに貢献しているのだろう。

またジャズの理論などは、自国語に翻訳されるものは少ないかもしれないが、演奏動画であれば、必ずしも自国語での解説が必要ないこともある。演奏を見ると一目瞭然だからね。
だから言語の障壁がなくなり、グローバル化に寄与している可能性はある。*4

もちろん、点が線につながらないと、一ジャズ愛好家から、ジャズプレイヤーまでは到達しないかもしれない。
現時点では、ジャズが盛んでない国から出現するプレイヤーは、富裕層もしくは中間層の子弟が圧倒的に多い。
大都市に旅行した際にジャズに触れ興味を持ち、Youtubeなどで更にハマる、という「Two-Hit」が必要なのではないかと思う。もちろん、演奏に専念できる環境設定という意味でも、ジャズは高等遊民に有利にできているのだ。

* * *

ではジャズは今後も発展してゆき万々歳だ……などという楽観的なシナリオは期待できない。

ジャズは、幾分かのリテラシーを必要とする音楽であり、この音楽に惹きつけられる人間はそれほど多くはない。現実的には、ジャズの本場、アメリカでも、音楽を始める若者が必ずジャズを始める、という感じではあるまい。ロック・ポップス・ヒップホップなどが大多数で、ジャズに行く若者は一握りだと思う。

ジャズを聴いて、ジャズプレイヤーになる確率はかなり低いし、その確率はなかなか増えない。
ただ、nを増やせば、結果的にプレイヤーの数は増える。ジャズを志す若手が、ジャズのコミュニティや教育のきちんとしているところからだけではなく、グローバル視点でいろんなところからジャズプレイヤーが出てきているのは、Youtubeの世界的な普及などに助けられているのは間違いない。
Youtubeは地理的な制約を解放する効果があるのは確かだ。

* * *

この傾向は、ジャズのグローバル化につながるのだろうか。
とことん楽観的に考えれば、ジャズという音楽スタイル、コミュニケーションのありようは、言語の壁を超えた世界言語、ある種のコミュニケーションツールともなりうるのかもしれない。
しかし、ジャズは本質的にリテラシーを必要とするものであり、その意味では、スノビズム紙一重である。ジャズは中流〜富裕層の子弟が共有するややソフィスティケイティドされたグローバルミュージック以上のものにはなれないのではないか。それ以上のポピュラリティは難しいのかもしれない。

トーマス・ピケティではないが、今後それぞれの国で、固定しつつある社会階層間の分断は、いきつくところまでいけば政情不安にもなりうる。
ジャズなんてやっているようなやつは革命で血祭りに挙げられる…なんて世界線もあるのかもしれない。
悲観的に考えるとそうなる。

続く。

*1:ちょっと前に知人の家にお呼ばれしレコードを聴かせてもらったが、やはり音質がいいというのには格別な感動があるのだなあとつくづく感じ入った。思わず自分も…とポチリかけたけど、レコードを今から揃えるということはさすがに考えられないのでやめた

*2:もちろんスタイルの選択肢と多様性にもよるだろうが

*3:もちろん、単なる興味だけではなくて、点が線になるようなきっかけがないと、ジャズを演奏しよう、とはなかなかならないかもしれない。

*4:もちろん英語の世界言語化が前提であり、また英語の解説動画などを見ることによって、バークリーとか米国留学の参入障壁を下げているという現状もあるかもしれない。