半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

Youtube時代にジャズはどう変化するか その2ー教則動画編

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2021年, 島根

続きです。

解説動画の隆盛

コロナ禍中、ジャズ界にも「教則系Youtuber」がたくさん出現した。
多田誠司さん、布川俊樹さん、本田雅人さんというビッグネームもYoutubeを介した教則を配信しているし、
それ以外にも本当にたくさんのMusicianが自分の存在記録をYoutubeに残している。
結果としてジャズ教則ビデオが巷に溢れている昨今である。

教則動画はコロナ禍で演奏機会を限定されたミュージシャンにとって新たなマネタイズの道を開いたのは確かである。
演奏のクオリティ、演奏者としての知名度と教え方のクオリティは必ずしも一致しないところもあるので、演奏者としてのヒエラルキーとは別の評価軸が、こうした教則画像によって形成されうるだろう。
リアルな演奏と動画配信の組み合わせで、新たな認知度を得ることもある。
マーケットへの訴求手段が変化する結果、勢力図は少し変わるのかもしれない。

もちろん、この現状に対して、醒めた視線を送る人も多い。

www.youtube.com

「天才ピアニストゆうこりん」の動画では、こういう玉石混交のジャズ教則動画の現状についてかなり辛辣な批判がなされている。誇張された模範例の顔マネ、破壊力ありますね(笑)。
ジャズには営々と気づかれてきた過去の蓄積がある。
レジェンドに対するリスペクトが大事で「このスケールを覚えたらアドリブできますよ〜」なんていう付け焼き刃のやり方は、ジャズの歴史を愚弄しているのではないか?と問題提起している。

私も同感だ。
「J-POPのジャズ風アレンジ」みたいな演奏動画も、オシャレだとは思うけど、正直どこがジャズ風なん?と感じることは多々あるし、ジャズって、中からみた景色と、外から見た景色って、結構違うんだよね……と思う。

まあ、しかし、こうしたジャズ教則動画が、その後どういう方向に向かうのかは、考えておかなければいけないとは思う。

動画隆盛以前の構造:

ちなみに、現代を動画時代とすると、プレ動画時代である20世紀をふりかえってみよう。
戦後前期では、古くはキャバレーに常設されるバンド(「ハコバン」と言われる)で、OJTにてジャズを習得していたのだと思う。
しかし1974年生まれの筆者の時代は、ジャズは大学のジャズ研のようなところで習得することが多かった。
ジャズ専科の音大やジャズの専門学校というのもまだまだ少ない時代であり大多数はジャムセッションを行うお店(大都市にはもちろん地方都市にもジャズコミュニティの核となるようなお店とプロ〜セミプロの集団がいる)や学生部活・サークル活動のビッグバンドやコンボでジャズを習得するケースが多かったように思う。
もちろん徒弟制のようにプロミュージシャンに師事する若者も一定数いた。
しかしあくまでそれはプロミュージシャンの再生産が目的であり、レッスンそのものが主たる事業ではなかった。

80年代終わりから現在までは、ジャズ教育そのものがビジネスとして拡大する時代であったように思う。
プロジャズミュージシャンもレッスンによって生計を立てる人も増えてきた。
「弟子」から「生徒」にかわり、逆に言うと、必ずしもプロを目指さない「生徒」の比率が増えるわけだ。
もちろん、ジャズの専門学校、音大のジャズ科のようなところでジャズを習得し、プロになる人も有意に増えた。
ジャズ研からプロになる勢も相変わらず一定数いるのだが、大学そのものが70年〜80年代のレジャーランド化から実学志向になったこと、学費の上昇と親世代の所得減少により可処分所得が減少したことでアルバイトも増加したことで学生は忙しくなった。日がな一日狂ったように音楽をやり続ける暇はなくなった。

重要なのは、かつてはジャズという音楽に対して明確な参入障壁があったということだ。
音大やプロに師事するコースを除けば、多くの場合大学のジャズ研がジャズの入り口になっていた。
ジャズは他のジャンルに比べるといささかのリテラシーとまとまった練習時間を要求される。
大学のジャズ研という受け皿は、結果として資質と条件に満たない人材をほどよく門前払いする効用があったものと思われる。

Youtube動画の隆盛

Youtube動画の隆盛は、すべての人にジャズへの門戸を開くことになった。
「ジャズをやろう」と思い、ジャズの入り口の扉を叩く人は以前にくらべて数倍に増えるだろう。*1
ただある程度の段階まで到達する人材は、おそらくあまり増えず、ちょっとかじっただけの人が激増するのではないかと予想する。これはすべてのジャンルの傾向と同じだ。

前述の通り、かつては大学のジャズ研という地理的・階層的な参入障壁、もしくは理論書を読みこなし理解できる程度のリテラシーが資質的な参入障壁として存在していた。
Youtubeはこの障壁を取っ払った。

しかし、それはあくまで間口を広げたに過ぎない。結局ジャズを演奏できるには、動画を見ているだけでは無理で、ジャズのイディオムを理解し何千時間も練習をすることが必要である。
Youtubeでカジュアルにジャズでも触ってみようと思った人に、そのステップがクリアできるのかどうか。

まあ、そのへんにリアルワールドの「ジャズの先生」が必要なのだろうけど。

* * *

ところで「教則系Youtuber」に関して言えば、登録者数と内容の難しさはTrade-Offの関係にある。

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ターゲット層を考えよう

上の図はビジネス本とかによく出てくる、新しいことに対する適応の度合いを示す図である。
ジャズの習熟度でもこの図式が援用できそうだ。
Innovator=上級者(プロ予備軍)
Early Adaptor=アマ上級者
Early Majority=中級者
Late Majority=初心者 
といった感じで変換したらだいたい正しいのではないか。
実際、過去ジャズ研に入部した人間で、一学年でみると、これくらいの分布になると思う。
きちんとアドリブを取れる人間に成長する人は、どのジャズ研でも一握りで、フロント楽器であれば10%を超えることは少ない。

こう考えると、上級向けの動画がチャンネル登録を稼ぎにくい構図がわかりやすい。
上級=2.5%、初心者=34%で、母数が12.8倍違うからね。

Youtuberとしてマネタイズするためには登録者数・視聴数が多い必要がある。
いきおいYoutuberはそちらに最適化してゆく。
でも大多数に理解できる動画って、正直にいって、簡単すぎてほとんど内容がないのである。
そりゃそうだよね。「シロウトにも理解できる」内容なんだから。
しかしそういう動画の方が視聴数も登録者も多いのも事実。
Youtubeの世界ではそちらの方が評価されてしまう。
高アクセスはさらなるアクセスを呼ぶ。
結果的に「クソみたいな教則」がはびこるという事態になってしまうのだ。

これが『Youtube教則動画』の構造的な問題だ。
正直にいってそういう動画を何時間みても、ジャズができるようにはならないだろうな、とは思う。

こうした試行を繰り返し、積算してゆけば、一握りの上級者、中級者、膨大な初心者(でそのまま断念した人)が形成されるだろう。セッションとかで、かなり「癖の強い」オリジナルなのか劣化しているのかよくわからないスタイルの人間に出くわすことは増えそうだ。

問題は、初心者向けの動画を観ていて、練習を繰り返せば、本当に中級者向けの動画を理解し役に立つレベルにまで到達するのかどうかだ。

キュレーションビジネスはどうか

現状は 教則動画の配信そのものは、上級から初級どのレベルにおいてもそれなりの数の先生がYoutubeにひしめいている。
ここに新規参入するのは、もはや結構むずかしいような気がする。

しかし、今の実力がどれくらいで、どの動画が今の自分の実力には向いているのか、ということを教えてくれる、つまり、ある種のキュレーションをしてくれるサービスはかなりニーズがあるんじゃないかと思う。

どうしたって、独習の段階で、迷う。
その時に、オンラインサロンなり、リアルなレッスンなりで道を指し示すということが、やはり求められるだろう。これは今も昔も同じだ。

* * *

Youtube動画は、初学者に対しても、独習の道を開いたのは確かである。
その意味で、ジャズを学ぶ上で「民主化」が起こった。
ジャズ版「アラブの春」である。

しかし、その民主化が、決してみんなが上達してハッピー・ハッピー!といかないのも、
アラブの春と同じような気がする。

*1:多分増えている