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Stay Blue “ Bill Evans 特集 ” その1

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Stay Blue " Bill Evans ” 特集 その2 - 半熟ドクターのジャズブログ


先日、久しぶりに少人数ユニット "Stay Blue"というバンドでライブをしました。
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レパートリーにBill Evansに縁がある曲が多かったので、
Bill Evans特集」ということでパワーポイントを用いたプレゼンを演奏の合間にはさみお送りしました。

せっかくなので、ここに公開しておきます。

(実際には演奏をしていますが、今回はBill Evansの音源を貼っておきます)



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(拍手)みなさまありがとうございます。
一曲目はBeautiful Loveでした。
これはもともと古いミュージカルの曲だったんですが、ジャズではあまり注目されなかったんですよね。
Bill Evansが"Explorations"で取り上げ、再び注目を浴びました。
これがきっかけで多くの人がとりあげるようになり、今ではジャズのスタンダードとなっています。


Bill Evansは1929年生まれ。51歳で亡くなっています。
日本で言えば、藤山寛美さんが同い年。オードリー・ヘップバーンも同い年だそうです。

ジャズ好きなら絶対知っている有名なジャズ・ピアニストです。
アルバム "Kind of Blue"の前後でMiles Davisのバンドに加わっているのがキャリア上特筆すべきことでしょうか。
マイルスはBill Evansのコードの解釈などにインスパイヤされて「モード奏法」を完成させたといわれています。

「モード」はモダンジャズの歴史の中で、Bop以降大きな進化をみせた奏法理論です。
モードの形成にビル・エバンスは深く関わっている。ジャズ史上の重要人物たる所以でしょうか。

その後Bill Evansスコット・ラファロポール・モチアンと組んでトリオの活動を開始します。
ライブ4作品が残っており、これは”Riverside4部作"といわれ特に評価されています。
大変残念なことに 新鋭のベーシストスコット・ラファロはこのライブの2週間後になくなってしまいます。
(また、そのことによってこの四作が伝説に押し上げられた理由かもしれません)

Bill Evansはその後もメンバーに多少の変遷はありつつトリオでの演奏を主体に活動し51歳に病没します。
それでは次の曲に行ってみましょう。



www.youtube.com

「酒バラ」と称される曲です。同名の映画のタイトル曲。
今回はToots thielmansとの共作 "Affinity"でBill Evansが施した転調するバージョンに準じてお届けしました。
 映画は幸福な家庭がアルコール依存症で崩壊するストーリーでありまして、Bill Evansも思うところあるのか、晩年は頻繁に演奏を繰り返したそうです。


Bill Evansのいいところをあげてみましょう。

サウンドに関しては、ジャズの歴史において「ビル・エバンス以前」「以後」と言ってもいいくらい、完成された独自のスタイルを作りました。
コードワーク、ハーモニーは、ドビュッシーなどの印象派の影響もうけているともいわれますが、VerticalというよりはHorizontal、マイルスの志向とも共鳴し、前述したとおりモード奏法の理論体系の構築にも一役買いました(Bill Evans本人はモードというスタイルそのものにはあまり興味はなく、あくまで独自のサウンドを志向しましたが)
またRiverside4部作がそうですが「インタープレイ」も特徴です。お互いがお互いの音を聴き、定型よりも濃密に反応しあうスタイル。
これも特にプレイヤーの中ではエポックメイキングであると受け止められました。
サッカーとフットサルの違いを考えてみるとわかりやすいかもしれません。フォーメーションよりも、意思疎通がしっかりしていれば自由な守備範囲で動くことによって、すばらしいサウンドを届けることができます(トリオという自由度の高いメンバー編成も、それゆえかもしれません)。

こうしたスタイルを作り上げ、ジャズの歴史に大きく貢献したビル・エバンスが、当時では珍しく白人ミュージシャンだったのも一つの特徴であったように思います。おりしも公民権運動の盛んな時期で、人種問題は非常に政治的な問題でした。
マイルスのバンドでビル・エバンスは相当いじめられたらしく、精神を病み、結果ドラッグ耽溺の悪化にもなったようですが。

他方、ビルエバンスのよくないところ。
先程も述べましたが、かなり深刻なドラッグ依存症で健康を損ね、早世につながりました。
また実兄が拳銃自殺を遂げたり、最初の奥様も電車に飛び込んで自殺するなど、身近な人の死が相次ぎました。共に新しい時代を作ろうとしたスコットラファロも早世してしまい、死の影が付き纏っています。
家庭生活なども決して幸福とは言えない状態だったようです。
写真ではスーツに黒縁メガネで、フォーマル感を醸し出していますが、病的な痩せ方からわかるとおり、プライベートは破滅型であったようです
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トリオを中心に活動し、サウンドや共演者の多様性が低いことも、活動の幅という点ではいささか残念です。
(例えば同年代のハービー・ハンコックなどと比べてみてください。またサイドで活躍するトミーフラナガンなどとも)
メンタルとしては決して良好と言えない彼は、作曲名とかで「匂わせ」をする名人でもありました(後述します)。

さて、次の曲にいきましょう。

*1:コロナ禍の中、ミニマルな形でありました。幸いその後このライブが原因となる感染拡大はなかったようです

*2:ちなみに晩年はヒッピームーブメントの影響もあるのか長髪・ヒゲで格好もカジュアルになりますが