半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

私たちが楽器が上手くなる理由には2つあってだな その2

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前回エントリーhttp://jazz.g.hatena.ne.jp/hanjukudoctor151017では、人が音楽を続けていくには、きれいな理由だけではないということを書きました。

その人がいかに音楽が好きで音楽にコミットしてゆくかというまっとうな「白理由」の他に、音楽以外の部分で、音楽に向かわざるをえない理由=「黒理由」とがある。

そうして、白歴史と黒歴史の陰翳で、その人の個人史は形作られていきます。


前回の話には結論というものはなかったわけですが、こうしたことを紐解いたうえで、それがどやねんということを考えてみようと思います。


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自分のあり方として

ある程度経歴を重ねた自分を振り返って、自分の「白歴史」と「黒歴史」は

自覚しておく方がいいんでしょうか?

私個人は、ある程度自覚した方がいいかな、と思っています。

その人の「黒歴史」は、普段は抑圧している負の思い出であり、あまり棚卸しされることのない感情の澱そのものだったりするから。自分の好悪や非合理な行動は、こうした「黒歴史」に無意識下に影響されていることが、しばしばあります。

例えば、昔嫌いな人が好きだった文物や場所、人に対して、無条件に嫌いな感情が付与されたりだとか。

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もし自分の「黒歴史」を言語化し、分析することができれば、非合理な好悪はある程度コントロールすることが出来るかもしれない。その結果、ほんとうは嫌うべきでないものを嫌わずにすむのかもしれません。

Closed MindからOpen Mindになることで、少し音楽の見え方が変わることがあります。もし「黒理由」がそれを阻んでいるとしたら、こだわりをすてることは必ずプラスにはたらクでしょう。

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ジャズという音楽は、比較的分析的なジャンルであり、自己分析が、本質的な音楽の才能を傷つけることは少ないように思われます。

ただ、例えばそうした過度の分析・感情のクレンジングがマイナスに作用することは確かにありえると思います。例えば、作詞・作曲などのクリエイティブな領域は、過度に分析的であることが影響を与えてしまう可能性はあるかもしれない。*1

パッションは、理性の冷風に当てることで、よくなることもあるけれども、悪くなることもありうる。歌詞などは、過度に説明的であったり整合性などを気にすると面白くなくなることもあるから。

僕自身はどちらかといえば分析的な人格で、分析的な演奏をするんですが、そういうのを超えたデーモニッシュな演奏家に当てはまるかどうかは、正直わかりません。各人でご判断ください。

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バンドとの関わりにおいて:

長く音楽活動をしていると、(ジャズでは特にそうですが)常に同じバンドに所属しているわけではないが、共演歴が長く、単なる友人以上の存在であるミュージシャンが少なからずいるように思います。

 自分の悩みを打ち明けたり、打ち明けられたり、しんどい時のことも知っているミュージシャンには、いわば自分の「黒歴史」の部分も知られているわけです。

 そういう存在は、腐れ縁というか、半分家族というか、単なるバンドメンバー以上の意味があります。

 黒歴史・黒理由というのは、触れる時に痛みを伴うものなので、むやみに誰にでも開陳するものではないと思います。従って、そういうものを誰にでもペラペラ喋る必要はない。当たり前の話ですが。

 ただ自分の黒歴史を知らしめていないメンバーに対しては、当然ながら、あくまでも社会人として節度ある行動が求められると思います。自分の弱みをみせていない人に対して、弱みが理由である自分の非合理な行動が受け入れられるはずがない*2

 自分の非合理で痛い部分=「黒歴史」をも共有している関係性の深いバンドメンバーには、ある程度の「甘え」が、場合によっては許されるのかもしれない*3

 逆に、メンバーのそういう過去を知るということは、メンバーから非合理なレベルの行動に振り回されることがありうるわけです。面倒な話ですが。

その代償として深いコミットメントは得られるかもしれないが。

*1:自分は作曲をしないのでそのあたりの機微はわかりませんが

*2:ときどき、理由が明らかにされていない共演NGがありますが、事務所所属ならマネージャーを通したりできますけど、完全に個人で動いているミュージシャンの場合は、はっきり言ってそういうこという資格ないよ、と言いたくなる。

*3:あくまで甘えを許すかどうかは相手の考えによることは留意してください