半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

ストリーミング時代に『好き』を貫くのは難しい

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2020, 津山

「わしの若い頃は…」なんていうつもりもないのだけれど。

ジャズプレイヤーの修行として、音源を聴いたり、コピー(トランスクライブ)したり、という作業はかならずあるものだと思う。
けれど、その音源をどのような形で入手するかというのは、もちろん時代によって異なる。

昔話:

僕は1974年生まれ。1993年に大学に入学し、2000年に卒業した。
まるっきりCDの世代である。
中学・高校生時代もタワーレコードを初め色々なお店でCDを買い漁ったり、友達に借りてカセットテープに落としたりしていた。*1
今でも音源はCDで買ってしまう。
ストリーミングは積極的には利用していない。
Amazon Prime MusicはUnlimitedの追加課金なしで使っている。
Apple Musicには黎明期に加入したけれど、自分のライブラリがどんどん脱落するという噂を聴いて、中止してしまった。
2020/11、久しぶりにApple Musicに再加入してみた。今後どうなるかは不明である。

* * *

でも、僕の世代なんてCDというまだリッピングのできるメディアだから可愛らしいもんだ。
一世代上の人たちは、レコードしかなかった。
カセットテープに落として何度も聴いたり、家でレコードを擦り切れるまで聴いたりだったらしい。
ジャズ喫茶でお目当のレコードがかかるのを狙ってソロを聴いて覚えて、ということもあったらしい。

さらにその昔。
チャーリー・パーカーがNYでビバップ・スタイルを始めた時は、みんな生演奏を聴きに行ったり、研究用に多分40-50kgある録音機(当時はポータブルのものがなかった)を持ち込んで隠し録り(笑)をしたりもあったとか。

今はそういう意味では楽な時代だ。ライブを聴くことも簡単だし、是非はともかく、かさばらない録音機もある。
音源もストリーミングサービスで、無限に聴くことができる。

ストックとフロー

この手のストリーミングサービスは、音楽そのものをストックからフローにするサービスであると言える。
ストックとフローについては、特に説明をしませんが、大丈夫ですか?
biz.trans-suite.jp

* * *

音楽を消費する側にとっては音楽がフローであること自体は仕方がない。
世の中の趨勢はそうなのだし、フローで供給されるものを敢えてストックする必要はない。

ところが、音楽の発信する側が、音楽そのものをフローとして取り扱って、本当にいいのか?と疑問に感じる。
他者の作品をフローとして扱っている限り、自分自身の音楽をフローとして扱われることを不当であると抗議する資格はない。

だから、ジャズを演奏する側、つまり生産する側にとって、ストリーミングサービスは、ある種の「踏み絵」であるように思う。
音楽をストリーミングサービスで便利に利用するのなら、自分もまたストリーミングサービス的に扱われることを覚悟しないといけない。

表現者として他者の音楽をどのようにとりつかうか。
まあそういう問題を大きくしなくても、一つ一つの音楽を自分の経験につなぎとめる作業というのが、音楽の習得には必要なわけで、フローでストリーミングを聴くという姿勢から、もう一歩脱却する必要があると思う。

最低でも、何を聴いてきたかという、記録をつけた方がいい。
これまで、そして今後も聴いてきた音楽というのは、自分の音楽の趣味嗜好の里程標そのものなのだから。

Apple Musicのようなものだと、プレイリストやレーティングなどで記録が残るかもしれないし、
できれば、日記のようなものをつけてアウトプットしておく癖をつけた方がよい。

ストリーミングサービスの利点

とはいえ、新しい音楽デバイスにはかなり便利な点もあるので、そこはしっかり利用した方がいい。

スタンダードを「曲名縛り」で検索し、同一の楽曲に対して、プレイヤーのアプローチ、アレンジなどを系統的に聴くことができる。

例えば "All the Things You are" とかで検索すると、無数のテイクを検索することができる。
私も数千枚CD持っているので、自分のアーカイブからでも30−40テイクピックアップできるけれども、そういう廃人級マニアでなくても、ストリーミングサービスは、数千万曲のアーカイブにアクセスすることができる。
おそらくだが、新世代のジャズプレイヤーは、曲の横断的なアクセスをキャリアの初期から繰り返すことができるために、深くソロへのアプローチを俯瞰することができるんじゃないかと思う。

その意味では、ジャズ・スタンダードはストリーミング時代には、相対的に価値が高まると思われる。
逆に、その反面、昔の名盤のB面一曲めのよいオリジナル曲などの、「B級スタンダード」「B級ジャズオリジナル」などは膨大なアーカイブの中で紐付けがされていないために、目に止まらなくなる。

アルバムの中のシングル曲のみが聴かれる、という潮流と同じだ。
アルバムの中に、意図を持って配置されたセットリストを尊重されることは少なくなり、一曲一曲の強度で評価される時代。これはストリーミングサービスの宿命的な弱点だろうと思う。

動画の功罪

最近はYoutubeなどの演奏動画がかなり沢山あるけれど、それもジャズの技能習得に大きく貢献していると思う。
音だけよりも、演奏している動画を見たほうが、楽器の技術的な解析はしやすいのは当然なことだ。特にピアノとかは運指や姿勢なども見えるので、一目瞭然だと思う。この辺も、僕の時代より技術の底上げが行われやすい要因ではないかと思う。

ただ、動画をみて、それですべてわかったような気になるのは大きな間違いでやはり生のライブでしかわからない現場の空気というものはあるし、そもそも動画で色々な演奏を簡単にひょいひょいとつまめるということ自体が、音を表現するという本質的なイデアの妨げになっているんじゃないかという考えもある。

nakamuranokangae.blog55.fc2.com
中村真さんという尊敬すべきピアニストのBlog「中村の考え」にも書かれている。

音楽体験そのものが変わってしまっている現状の中で、どのようにミュージシャンが成長してゆくべきか、というロールモデルは未だ定見がない。自分のありようについて謙虚に考えながら、色々なものを吸収してゆく必要がある時代だと言える。

*1:高校卒業時にカセットテープは多分1000本近くあったのだが、これは流石に電子化することは難しく、そのまま忘却のかなたにいってしまった。中学高校のブラバンの同級生はその後の人生のどの時期よりもマニアックな友人に恵まれたせいで、かなりレアな音源もテープで持っていたのだが…残念だ。同様にMD音源も今では聴く機会はない。捨てられないからとっておいてあるけどね。

CSR理論とジャズ その3

C-S-R環境は単一環境ではない

ジャズ・コミュニティーにおける
C環境・S環境・R環境というのを述べてきた。

ところが、実際には、ある地域が、単一の環境に支配されているということは少なくて、いくつかの環境が混在していることが普通である。
実際の植生でもそうで、C環境である森林・雑木林の周辺にはR環境である雑草が生えている草原が取り巻いていたりする。

ジャズにおいても然りで、C環境である大都市圏には、R環境も(あまり目立たないけどS環境も)混在している。
地方都市も、地域一番店ライブハウスはC環境要素があるし、それ以外にR環境・S環境が点在していたりもする。

そのブレンド具合というか、混在している中を、ジャズプレイヤーは移動したり行き来している。
C環境・S環境・R環境はお互いを補完する関係にあると言える。

S環境

その2でも述べたけれど、S環境だけでは未来がない。
S環境の中長期的な維持のためには、新規参入の育成環境であるR環境があった方が望ましい。

R環境

R環境は、学生や初学者の集まりであるが、R環境だけで閉じていると、やはりジャズの演奏能力の向上、というところに向かない場合がある。
過去いくつかの学生ジャズ研を見てきたが、外との交流がなくなって閉じたジャズ研は、急速に演奏の質が悪化する。一旦その状況になると、もう一度C環境との交流を取り戻すのは難しい。(そういう場合、R環境では居心地が悪い、演奏能力には長けているけど周囲との宥和能力の低い個体が、外へ環境を求めて出てゆく…みたいなイベントがないと、外との交流は復活しないことが多い)
R環境の質的な維持のためには、C環境とオープンに接続されていることが望ましい。
隔絶されたR環境は、だいたい淀む。

C環境

C環境の多様性を維持しているのは、当然ながら、C環境に隣接したR環境であったりする。
東京・大阪、大都市にはたくさんの学バンやジャズ研、音大のジャズ専科がある。これらから新規参入組が大量にC環境に流入し、C環境の質の維持と競争原理が働いている。もちろん前述したようにR環境にとってもC環境は補完した関係ではある。
ではS環境はどうか。
大都市のC環境のジャズプレイヤーのうち上位陣は、時々ツアーを組んで地方巡業にでかける。そう、S環境にだ。
S環境は、単独では収量が少ないが、全国くまなく合わせると、C環境のプレイヤーに対し、後背地としての潜在マーケットを提供していると言える。

それにS環境にとっても、C環境のプレーヤーが来ることによって、潜在ジャズ嗜好層への刺激付け、掘り起こしを行うことができる。

まとめ

このようにC環境、S環境、R環境というのは密接に相互を補完する役目がある。
S環境の維持にはR環境が必要だし、R環境にはC環境が必要。
C環境にはS環境もR環境もはずせない。

自らの地域のC/S/R環境を考察してみたらいいのではないかと思う。
エリアに必要なものはなにか、というのがみえてくるはずだ。

CSR理論とジャズ その2

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2019, 北海道

ジャズにおけるCSRとは:

その1では、植物学におけるC環境、S環境、R環境を例示した。
では、ジャズにおいて、同様のCSR環境を考えるとどうなるだろうか。

C環境:ストレスが少なく撹乱も少ない生育環境

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C環境の代表 森林・樹海

植物にとっては好適環境であるようなところ。例えば森林であるとか。
ジャズにおけるC環境とは、これは一目瞭然、東京・大阪などの大都市だろう。
沢山のライブハウスや、コンサートホールがある。なんなら放送局などもある。
レッスンなどにも事欠かない。
この様な環境で最も重視されるのは、競争力、ジャズでいえば、演奏の能力であろうと思う。
良い演奏をすれば、売れる可能性がある環境。それがC環境だ。

S環境:ストレスが大きく、撹乱は少ない生育環境

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S環境の代表例 砂漠

それに対して、S環境は外的環境が過酷であるような環境だ。
たとえば砂漠におけるサボテンを想像してみよう。

ジャズにおけるS環境は、例えば、人口10万以下の地方都市などだろう。
ライブハウスなどの演奏環境も乏しい。
聴衆がよい演奏を受け入れる文化的土壌も少ない。マーケットがない。
演奏に対するフィーも少ないため、プロミュージシャンを地域内で涵養できない。

こういうストレス環境では、当然ストレスに強い=低コストのミュージシャンが強い。
つまり、兼業のアマチュア・ミュージシャンだ。
音楽で報酬が期待できない状況でも生きていけないと、この環境にとどまることは難しい。

この環境では、演奏能力による淘汰圧は生じない。変化に対する耐性による淘汰圧も生じない。

いまひとつ冴えない演奏が十年一日のごとく、客のまばらなライブハウスで演奏される、みたいな光景は地方都市でしばしば見かけるが、これはしかし、S環境に完璧に適応しているとも言える。
(時々、とんでも無くうまいアマチュアミュージシャンがいたりするけどね)

R環境:ストレスが小さく、撹乱が大きい生育環境

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R環境の代表 雑草の生えている植生

R環境は、植生でいえば、雑草のような草が茂る低木環境である。
こういう環境は、変化適応性に富み、勢いのある(生育が早い)種に適した環境である。

ジャズに置き換えてみれば、これは学生のジャズ研であるとか、ジャズサークルのようなものが該当するかもしれない。
または、「学バン」と言われるビッグバンド。
もしくはジュニアジャズオーケストラとか、ジャズ教室のグループレッスンとか。
こういう環境に、例えば10年同じ環境にい続けるプレーヤーは少ない。どうしても一時的にこの環境に止まり、いずれは別の環境にでてゆくことになる。
この環境で淘汰されない条件は、ストレス耐性=低コストでも耐えられる、や、競走能力=絶対的な演奏能力ではない。
むしろ、変化適応力だ。
周囲環境に馴染むのが早いこと、与えられた要求に答えるのが早いという能力がもっとも重要だと思われる。
環境の変化に強く=へこたれたりしにくく、繁殖力の強い=友達など交友関係の広い人間が、この環境にもっとも適していると言える。演奏能力そのものよりも、だ。

S環境では成長は期待できない

私が住んでいる地方都市は、ジャズ研があるような大学もなく、新規参入が期待できない環境なのである。
ここ数年、やはり新規参入の人材が出てこないよなあと慨嘆していた。
そうなると、いきおいジャズマンの高齢化も進み、そしてサウンドの多様性も減少してゆくのである。
地方に住んでいるジャズ愛好家のみなさんも同じ気持ちではありませんか?

なんで、新規参入がないのだろうか?
の答えがこのCSR理論で理解できたのである。
こういう地方都市はS環境の典型なのである。
S環境はそもそも新しい人材を育てる土壌ではない。

新しい人材を育てる可能性があるのはやはりR環境なのである。
R環境で揺籃期を楽しく過ごし演奏の素養を身につけたら、S環境に遷移しても演奏活動を続けられるかもしれない。
いきなりS環境に放り込まれても、ジャズマンとして定着することはできない。そもそもS環境に適応したプレイヤーはR環境からみて、リスペクトを抱きにくいし、ロールモデルにもしにくいのだと思う。

ということで地域の全体的な状況がS環境であったとしても、その中に局地的にR環境を作り出すことができれば、そこから新規参入のジャズプレイヤーを輩出することができるかもしれないと思う。

逆に言えば、田舎で後進を育てるためには、意図的にそういう環境(R環境)を作らないとダメなのだ。

CSR理論とジャズ その1

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CSR理論とは

ここ最近植物学の本とかを読んでいると、植物の生存戦略を説明するCSR理論が目にとまった。

  • C-S-R三角形(C S Rさんかっけい、C-S-R Triangle theory)は、植物の生存戦略に関する仮説であり、ジョン・フィリップ・グライムによって提唱された植物生態学の用語である。
  • この仮説では植物の生活史を3種類に分類し、r-K戦略説よりも広い適用性を持っている[1]。
  • この仮説で示されている3つの生活史とは、
    • ストレスが小さく撹乱が少ない生育場所に適応した競争戦略(C, Competition)
    • ストレスが強く撹乱の小さい生育場所に適応したストレス耐性戦略(S, Stress)
    • ストレスが小さく撹乱の大きい生育場所に適応した撹乱依存戦略(R, Ruderal)の3つ
    • なお、ストレスが強く撹乱の大きい場所に生育できる植物はないためこれは考慮しない
  • ストレスの強さと撹乱の強さを縦軸、横軸にとった場合、3つの生存戦略が三角形のそれぞれの頂点に位置するため、「三角形」の名がある。

(Wikipediaより:C-S-R三角形 - Wikipedia

これは、植物の植生を説明する理論なのである。

C環境:

ストレス・撹乱の少ない環境。例えば森林や雑木林などの植物の生育に適した環境である。
どんどん育ち、競争力の強い種、例えば、もっとも高く生えることができる高木などの種が、有利だ。

S環境:

ストレスの大きい環境。例えば岩場や砂漠など、植物の生育に適していない環境。
サボテンとかのように、低コストで生き抜くことができる種が有利である。

R環境:

撹乱の大きな環境。雑草の生えている植生が代表だが、植生遷移の環境が該当する。こういう環境では、雑草など環境への適応力および繁殖力に長けた種が有利である。

この植物学の理論を、地域におけるジャズの普及・発展状態に敷衍することができるのではないかと思った。

CSR理論とジャズ その2 - 半熟ドクターのジャズブログにつづく。

アドリブの楽しみ方ーその3

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2020, 松江

メロディーは「たたき台」

色々な形を経て、最終的には、50年代以降のジャズは、
「その2」の後半で示した形態、つまりテーマメロディーの間にがっつりとソロスペースのある形態が主流となります。
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メロディーのはじめから終わりまでを「1コーラス」とし、その1コーラスを自由な回数繰り返しアドリブソロをとるという形式に落ち着きました。
(もちろん別の形態もあるわけですけれども、コンボジャズの楽曲の7割がたはこのような形態をとっています)。

他のジャンルでは、メロディーは楽曲を構成する最重要要素です。
しかしジャズのこの形態は、メロディーは出発点にすぎない。
悪く言えば、メロディーはたたき台なんです。

そして、ジャズは、綺麗にメロディーを奏でる音楽ではなく、メロディーと同じコード進行を反復させ変奏に変奏を重ねた挙句に行き着く到達点を競う音楽になってゆきます。
つまりどれだけメロディーから離れていけるか、という音楽です。

こういう形態になった理由はいくつか考えられます。

  1. ジャズの発展の担い手が歌ではなく器楽奏者であったこと。
  2. 「自由」さというものがことさらに時代性もあり重要視されたこと。
  3. クラシックにおいても、第二次世界大戦後、例えば十二音技法などの無調音楽など、脱メロディなどの抽象的な方向に向かっていた潮流とも呼応していたこと。

ジャズの二律背反(娯楽と抽象芸術)

結果的に、酒場や娼館の娯楽音楽であったはずのジャズは、抽象度の高いモダニズムと結びつき、特異な到達点に達します。
(主役を担ったのは戦争に参加しなかったアウトサイダー達のBe-Bop一派、チャーリー・パーカーディジー・ガレスピーを中心とするジャズマン達でした。彼らは当時の最先端文化と相互作用もしていましたが、当代のインテリゲンチャにも刺激を与える存在であったと同時に麻薬・酒への依存も強いアウトサイダーでもあり続けました。その相克の中で翻弄された挙句多くのジャズマンが短命に終わっています)

しかしジャズの面白いところは、あくまで娯楽音楽としての枠組みを崩さなかったことです。
酒場音楽としてのポピュラリティと抽象音楽としての高い精神性、その二つの間を揺れ動きつつ、背反する二つの要素の中で発展をつづけてゆきます。そこが、今になっても独特の魅力を放っているのではないでしょうか。

* * *

残念ながら、ジャズのそのような発展は、ロック・フォークミュージックが台頭し、ジャズはポップミュージックの主役から駆逐されてしまい、一旦は栄光の歴史に幕をおろします。
ジャズはその後ポピュラー音楽の中でマーケットシェアを失い、衰退を続けてゆきます。

しかし、マーケット的な成否はともかくとして、ジャズはその後も即興演奏の純度を高めて今に至ります。

「抽象度の高い即興演奏」という点では他のジャンルより一日の長があり*1、結果としてジャズマンはソリストとしてポップスや他ジャンルに傭兵のように呼ばれるポジションであったりもします。

まとめ

ジャズというジャンルは、そのプレイスタイルだけをみると、すでに歴史的な役割を終えているのかもしれません。
ただ、他のジャンルとの差異は、結局のところアドリブ(インプロヴィゼーション)です。

現在でもジャズが意味を持ちうるのは、このアドリブソロという方法論の魅力が失われておらず、他ジャンルからも必要とされているからに他なりません。

*1:もっとも、完全な即興演奏という意味ではフリー・ジャズ、さらにフリー・インプロなどのさらに抽象度を高めたジャンルもありますが、これはさすがに他のジャンルとの共存が難しい側面がある。ジャズのある種のポップさは、他のジャンルとの馴染みのよさにつながっている

セッションするプロ、しないプロ

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トップクラスのミュージシャンの中には、アマチュアと絡むプロと決して絡まないプロがいる。

からむプロがうまいというわけではない

絡むプロ、絡まないプロには実力差は関係ありません。

素人と絡んでくれるプロでもめっちゃうまい人はいるし、うまくないプロもいる。
素人と絡まないプロでもめっちゃうまい人はいるし、うまくない人もいる。

素人と絡んでくれるかどうかは、そのミュージシャンの方針なだけです。

素人と絡んでくれるプロの方。
マチュアの僕らからすると、なんてありがたい存在なんだと思います。
その意味で心情としては贔屓したくなる、というのも本音です。*1

ただ、プロミュージシャンの実力は、うまい人同士の演奏で発揮された、その人の最高のパフォーマンスによって評価するものです。

高度な音楽能力を持ったプレイヤー同士の息のあった演奏は、珠玉のもの。
人類にとっての宝のようなものでさえあると思います。
我々はそういう演奏こそを尊重した方がいいでしょう。

基本的にうまいプロ同士の演奏は、
機械で例えると、それぞれのパーツの精度が桁違いにいいわけです。

F1のマシンは、ミクロンどころではなくナノメートル単位での精度管理がなされている。
そのようなパーツを組み合わせることによって、最大限のパフォーマンスを引き出すことができる。
一流のジャズミュージシャン同士の演奏も、そういう精密機械を思わせる人知を超えた雰囲気があります。
演奏中の非言語的な伝達量もかなり多い。
出音そのもの、もしくはハンドサインや表情などのちょっとしたアイコンタクトによって、彼らは絶えず情報交換行なっており、まるで超能力者のようにさえ見えます。

ミュージシャンのすごさは、こういう場のパフォーマンスで評価するべきです。
こういう演奏こそがジャズ!であり、例えばセッションジャンキーの人たちはしばしばこういう演奏を聞きに行く機会をつぶしてセッションばっかり行きがちであるが、全く観ないのもいかがなものではないかと思う。

ジャムセッション

プロミュージシャンがアマチュアジャムセッションに付き合ってくれるパターンがしばしばあります。
演奏のパフォーマンスで完結できるならみんなそうするでしょうが、ジャズ村はお金が乏しい村。
マネタイズとプロモーションの手段として、ジャムセッションでのコミュニケーションがある。

ジャムセッションではそもそも色々なレベルの人が混在することが当たり前です。
これは、どのジャンルでもある程度そうなのですが、アンサンブルとしての最終的な精度は構成員の精度の最低値に合わせられてしまうものです。「精度の低い」ミュージシャンが混ざると、全体の性能は低い性能に引っ張られるのも事実。

素人と絡まないプロ

素人と絡まないプロは、この「精度低い状態で演奏を余儀無くされる」ことがいやなんだと思います。
そりゃ、上述したような上手い人同士の演奏は、やはり極上の演奏体験です。
そればかりできるなら、それに越したことはない。
なんでいまさら下手なやつと絡んで実にならない演奏をせにゃならん。
なんのために苦労してプロになったんだ。
と思うのも無理からぬこと。
若手の超一流、一線でやっている人たちは、そんな人が多いですね。

(追記)
レベル=精度が低いからいやだというのではなく、上述の精度の高い演奏に関して言うと、事前打ち合わせやたとえばお互いのやり口を知っているがゆえの熟練(パーツ同士が馴染んでいる、とでもいうのでしょうか)という要素もあるからではないかという指摘をうけました。
確かにその通り。精度の高い人同士でも全く初見、初対面ではライブパフォーマンスのような噛み合い方にはならない。

上手い人同士の演奏は、例えていえば、フォーミュラカーのレースのようなタイトでシビアなものです。路面がしっかりしている分、パフォーマンスも高いレベルが要求される。

セッションにおける予測不能性は、演奏の精度という一点からみると、やはりノイズであり、そこを嫌うということなんでしょう。
ミュージシャンとしてパフォーマンスの純度と精度を高めたい場合は、セッションはノイズになるかもしれない。

* * *

ただ、超一流どころのプレイヤーでも一定以上キャリアを重ねたプレイヤーで、気さくに素人と絡んでくれる方もいます。
そういう人は、アマチュアの、彼らにとって水準を満たさない演奏の中でも、自分の良さを出して、なおかつ下手なアマチュアを萎縮もさせないように配慮し、迷える子羊を導いてくれたり、上手い人同士の演奏とは異なるスキルを身につけていたりする。

素人と絡む演奏は、ダートでのラリーのようなもの。不確定要素の多い局面で、アンサンブルをコントロールをする技術が求められます。
それぞれ別のスキルが必要ですが、超一流の人たちはやっぱり、サーキットでもダートでも速い。

純度の高い演奏でなくても、自分というものを出せるためには、ある種多彩な状況の中の回避能力がもとめられる。

素人と絡まないプロは、ダートではレースをしないだけ。
そういう人にはサーキット場でつきつめた純度の高さの凄みがある。

そういう意味では、上手い人同士の演奏に求められるのは、演奏能力のMaximum(車で言えばエンジンのパワー)であり、上手い人とうまくない人の混在した演奏で求められるのは、演奏能力のRobustness=頑丈さ(車で言えばサスペンションのしなやかさ)なのではないかと思う。

まとめ

  • 素人と絡む・絡まないと上手い下手は別。
  • ミュージシャンの真価は、上手い人同士の演奏で発揮されるのは確か。みんなご贔屓のミュージシャンがセッションホストをしている時だけじゃなくて、ライブをきちんと聴きに行こう!
  • そういう上手い人同士のサーキットでの速さだけじゃなくて、荒れ場のセッションで絡んでも、プロはやはり上手い。が、うまさに違うベクトルが要求される(performance powerとrobustness)

*1:そしてそういう贔屓の公用をよく知ってらっしゃる方が、素人と絡んでくれるという循環もあるわけです。

セッションのロードマップーその4(離)

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2020, 何虫?


セッションの歩き方について、長々と述べてきました。

その1:初心者は、まずバンドのサウンドにうまく調和しましょう。アドリブソロをコントロールしましょう。
その2:中級者は、自分のパートだけではなくサウンド全体に目を配りましょう。
その3:とにかくちゃんと挨拶しましょう。

ではその次はどうでしょうか?

ジャムセッション全体をコントロールする

中級者では、自分のパートだけではなく曲全体を、バンドサウンド全体を見ましょう、と言いました。
そこからさらに視野を広げましょう。セットリスト全体をそしてお店全体を見渡せるようになりましょう。

セッションホストという形で参加しているのであれば、人数が多い場合は交通整理を行う必要があります。
皆の満足度を推し量りつつ、不公平にならないよう、選曲に無理がないように、差配をして満足度が極端に偏らないようにしましょう。この辺り別項で述べています。

セッションホストがいない状況の場合は、なかなか難しいのですが、誰かが全体の流れを見ていた方がいい。
大抵は視野の広い人が参加者の中に一人くらいはいるものです。
(誰もそういう視点を持たず「自分が、自分が…」となっているセッションもあります。いくら楽器がうまくても、幼稚園児の集まりのようなものです。引率の先生がいない幼稚園児の群は、ただのパワーゲームです)

経験が深く全体を見渡している人が他にいなければ、あなた自身が全体の情勢を見極めてください。そういう人が他にいるならば相談し、やんわりと、望ましい状況に方向づけましょう。
明示されたホストではない場合、決定権はありませんから、強制力のある指示はできません。あくまで提案です。ですから、あまりにひどい事例は見るに見かねて少し介入する、という形しかとれないでしょう。

「池の水全部抜く」じゃないすけど「出来る曲全部やる」人は、うまくその人を引き剥がして(その人の好きじゃない曲やリズムを提案するというのが上策、『ちょっと交代しましょうか』と直言するのは中策、『おめーやりすぎなんだよヘタクソ!』は下策)、初心者でなかなか輪に入れない人には、無理のない程度に勧めたり、できる曲を聞いてコールしたりして後押ししたり。
また、特定の参加者としか演奏しない人(多分好みもあるのでしょう)には、別の組み合わせになるように順番を操作したりすることも。

人の組み合わせだけでなく、セットリスト全体の流れも大事です。例えば、おんなじようなテンポの4 Beatの曲ばかりにならないように、ボサノバとか、歌物、メジャー・マイナー、一発もの、ファンク系、ワルツ・変拍子など、さまざまな要素を組み合わせ、できるだけセットリストがカラフルになるようにする。
この辺りはライブの時の選曲、配曲にもつながってくる話です。

曲だけではなく、さらに上位構造であるセットリストに視野を向けて、見えて来る世界もあります。
ただ、それ、本当に楽しいの?とも思われるかも知れない。でも誰かがそういう役を担っているのです。世界の秩序のためには。
まあ、飲み会で、他の人を介抱するような役でありますがね。

これの弊害は「遊んでいるのに、仕事しているとしか思えない感じ」になることでしょうか。
視野の広さとバランス感覚が要求されますが、これは、管理職やマネジメント能力そのものなので。

広い視野と狭い視野の切り替え(もしくは共存)

こういうマネジメントは、セッション全体にとっては大事ですが、我々はあくまで一人のプレーヤーであることも忘れてはいけません。こういうマネジメント作業はお腹いっぱいになりがちで、没入よりも醒めた目で全体を眺めがちですが、それだけでは片手落ちです。
一人の奏者として音楽に参加する瞬間は、音楽に没入し、きちんと熱量を持って自分の演奏を完結する。
この切り替えができるかどうか。逆にいうと、一瞬でプレーヤーモードに入れるか。
うまいけど、あくまでクールに「やってあげてる感」満載で自分の仕事を淡々とこなす、というのは、一見良いように見えるけど、全然よくないです。やる気ないうまい人の演奏は、これからの人の心を悪い風に冷ましてしまうことがあります。

ハートに火を付けろ!

プロとアマチュアの差、もしくは、一流のプロとそうでないプロの差は、結構このあたりに出るように思います。
プロミュージシャンの方々は、抜いたリラックスモードから、臨戦モードに入るまでが、おそろしく早い。そして、それなりにハートに火をつけたような演奏をします(たとえ、内心はうんざりしていても)。

多分アマチュアはHi-Lo程度のギアしかないのに対し、プロはいくつかのギアを持っていて、セッションとかシットインで参加するような演奏は、ギアを一段階あげる程度で対応できるから、なんでしょうけどね。
(私はプロじゃないのでわかりませんが、見ている限り、プロはその辺りの立ち上がりさえもアマとは段違いではあります。たとえベロベロでもです)

 やる気のないふりして、いざステージに上がったらばっちり温まっている。
この辺りのモードチェンジの速さ、レスポンスのよさは、必須条件ではありませんが、セッション慣れした人に共通の現象ではないかと思います。管楽器はどうしても立ち上がりに時間がかかりますが、プロはコンスタントに練習をしているのもあるとは思いますが。

まとめ:

 初心者、中級者、上級者と勝手に区別しましたが、強調しておきたいのは、これはジャズや音楽の習熟ではなく、あくまでジャムセッションに対する初級中級上級ですので、誤解のないように。

 一言でまとめましょう。

 セッション初級者に必要なのは、勇気!
 セッション中級者に必要なのは、引き算!
 セッション上級者に必要なのは、熱意!

 では、今夜もばっちりセッションを楽しみましょうぞ!