半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

ビッグバンド勢一年生管楽器への「努力しないアドリブ法」その2

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2021, 広島

前回の続きです。

指分を書き出してみる

もともとのその曲の調(右下の方で「F長調」とか書かれているのがそれです)のドレミファソラシドはわかりますか?
わからなかったら、このJust Friendsだったら F△7とかかれているところで表れるスケールがそうです。

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fig. 4 トニックコード

これがその曲における基準と考えてください。トニックコードといったりもします。
図では二段目のF△7を示しましたが。たいてい曲の最後の最後らへんにトニックコードはでてきます。
*1

転調が少なく、調性がシンプルな曲については、「つかえる音」は、トニックコードとの指分(さしわけ)を考えると楽です。

例えば、fig. 3の「Bb-7」とかかれた部分ででてくるスケール、
fig.4 の「F△7」のスケールを比較してください。

違うところがありますね?
並んでいるスケールは出発点が違うのでちょっとわかりにくいですが、並べてみればわかります。

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fig.5 2つのコードから導かれるスケールの比較

ソロを作る時に、その場所では「おいしい音」をできるだけ入れてソロを作ると、それっぽくなります!
答えを書いてしまうと、Ab・Db・Ebの音ですね。この場所では、この音を吹いたほうが適合しているように聞こえがちだし、逆にいえば、F△7の、AとかDとかEの音を吹くと、ちょっと調子外れに聴こえるわけです。
最初はこの iReal proをみながら、おいしい音だけを抜き出してみて、メモしてみてもいいかもしれないですね。

以上説明終わり!
さあ!皆さんやってみましょう。
 最初は、ブルース( Bille's Bounceとか Cool Struttinとか Now's the Timeとか)や、比較的簡単な曲で、こういうことをやってみたらいかがでしょうか?
 ・Just Friends
 ・Blue Bossa
 ・Autumn Leaves
 ・Bye Bye Blackbird
 ・My Little Suede Shoes
 ・Work song
 あたりをまず見てみてください。
 なんかできそうな気がしてきませんか?
 最初は短めの曲の方がわかりやすいですよね。ブルースからはじめたらいいと思います。

理屈の前にやってみたほうが楽しいかもしんない

 従来のジャズの理論学習では「なぜこの場所でこういう音が「おいしいのか」」ということを説明してから実際に演奏する、としていたように思います。
 昔は僕もそう思ってた。
 だけど、最近の僕は「まずはやってみたらええやん」と思ってます。

 それがある程度馴染んだあとで、理屈を考えたほうが、しっくり理解できるような気がする。

 ジャズなんて実用のもんです。学問的に考えてもぴんと来ません。
 手を動かしてなんぼです。やってみないとわからない。

 ちょっとくらい間違ってもいいから、どんどんやってみたらええやん、と思う。
 iReal proは機械ですから、いらだちもしませんし、根気強く待ってくれます。
 試行錯誤ができるというのはいいことです。

 間違ってもいいからどんどんこなしていって、うまく行ったり行かなかったりしながら知識身につけた方が、楽しい。

 絵とかでもそうじゃないですか?
 最初下手くそでも毎日描いていたら、うまくなる。
 でも最初からうまくやろうと思ってやってても、うまくはならないのです。
 うまくなるには数こなすのが大事。

これは出発点

 もちろん、この付け焼き刃の知識で乗り切れるほどジャズは甘くはないのです。
 ここの書かれているスケール「だけ」では、巨匠の音源の三分の一も理解できないでしょう。

 このi Real Proの初期画面では一つのコードに対し一つのスケールしか表示されませんが、実際のソロでは、一つのコードに対してTPOにあわせて様々なスケールを選んでいます。
 もうちょっというと、そこに書かれているコードだけが正しいわけでもない。
 確信をもってコードを書き換えたりもします。

 フレージングには様々なアプローチがある。
 それは実に奥深く楽しいものなのですよ。

 ですが、実は上に書いてあるやり方だけで、五里霧中だったソロはある程度コード感のあるソロにすることができます。
 実際、ビッグバンド勢の30-40%くらいの人は、ここで止まっちゃっているんですよ。
 逆に言えば「出来る子」はジャズ研一年生の夏休みくらいまでにはこういうことをやっちゃっている。
 だから、もしこれがクリアできれば、2020年時点でのフルバン勢のアドリブ力で上位25%くらいに進むことができる。

 そこからの辛くも楽しい道は、また機会があればお伝えいたしましょう。
 でもとりあえず「何をやればいいか」というのが少し見えてきましたか?
 がんばってください!

*1:ちなみにみんなが最初に取り上げるブルースってやつは、トニックがI△7ではなくてI7なので、最初はとまどうかもしれません。

ビッグバンド勢一年生管楽器への「努力しないアドリブ法」その1

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2021年, 広島

ジャズに憧れて、ジャズ研(軽音でもジャズサークルでも名称はなんでもいい)の門をたたく学生は多い。
ところが、入り口ではみなプロミュージシャンのようにバリバリとアドリブすることを夢見るんですが、卒業するころにアドリブをきちんとできている人は、良質なジャズ研・サークルでも10%もいません(平均すると5%くらいじゃないでしょうか)。

jazz-zammai.hatenablog.jp
jazz-zammai.hatenablog.jp

これは私が学生だった20世紀の頃から本質的には変わっていません。
これはある種構造的な問題であり、容易には変わらないのです。
個人的には自分の周りでもいろいろ間口を広げるような取り組みもしていたのですが、なかなかうまくいかない。
正直な話。

アドリブの習得については、以前にこういうことも書いてはいました。
jazz-zammai.hatenablog.jp
jazz-zammai.hatenablog.jp

ただ、これも結構ハードル高いよね、とは思っていました。

時代はかわった

ただ最近ジャズを始めようという人に、本とかデバイスの紹介をしている時に気づいたんですが、最近の人たちは昔の僕らと違って、もっている道具が違うことに気づいた。
僕の時代は黒本はなくて青本だった。
iReal proはなかった。そもそもスマホもなかった。
アマゾンミュージック、アップルミュージックも、Spotifyもなかった。

例えばスマホのカメラ機能が進歩したことによって、多分「写真部」みたいな部活のあり方も随分かわったように思うんですよ。もちろん美術部とかもね。

だから音楽についても、文明の利器を駆使しまくれば、近道ができるんじゃないかと思う。
僕が紹介するのは「アドリブやってる勢」にとっては当たり前の道具なんですが、
それをアドリブ初学の段階で使うというのが今回のポイントです。
楽してアドリブする。
楽してアドリブの勉強したいですね。

i Real Proを使い倒す

まずは、「iReal Pro」というアプリをスマホなりタブレットなりダウンロードしてください。

2000円弱かかりますが、そこは初期投資です。
実際に i Real proは多くのミュージシャンも使っていますし。
どうせもし君がマジばアドリブ奏者になるなら一度は触れるべきものなのですよ。

i Real Proは、メロディーだけは載っていないのですが、多くのスタンダード曲のコード進行が載っています。*1
転調もできるし、in Bb in Ebの楽器にも対応できます。
さらに、テンポやリズムパターンを変えて、Play-alongとかマイナスワンとかバックトラックとか言ったりしますが、いわゆるカラオケ音源にもなってくれるすぐれものです。
さらにいうと、録音までできるらしい。

さらにさらに、コードの構成音とスケールも出すことができるんです。
私は使わないのであまり気にしていなかったのですが、これを使えば、初心者でも、なんの音を使うべきかがわかりやすいです。
楽にアドリブの学習をしましょう。

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fig.1 iReal Proの画面(初期はダークモードで白黒逆かもしれない)

これがiReal Proの実際の画面です。左列にindexがあり、中央上にあるボタンをおすと右のコード進行の画面が全画面表示になります。

下の方にいろんなボタンが並んでいます。
一番右下の方にコードとそれに使えるスケールを示す機能ボタンがあります。

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fig.2 コードスケール

で、コードスケール選択で、右から2つ目(五線紙と音符みたいなボタン)を選んでください。


そして、一番下の「▶ボタン」これを押すとバックトラック演奏になります。

そうするとあら不思議、今流れているコードの場所で、そのコードに対応するスケールが表示されるではありませんか!

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fig.3 Play Alongの様子(今演奏されているところが黄色で表示される)

めちゃくちゃシンプルに言えば、この場所ではこの音を吹けば、それらしくなるってえ寸法です。
それが「つかえる音」ってわけ。

その2に続きます。

*1:iReal proのユーザー同士で共有できるフォーラムというところで、マイナーな曲もデータ化されています。

Youtube時代にジャズはどう変化するか その2ー教則動画編

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2021年, 島根

続きです。

解説動画の隆盛

コロナ禍中、ジャズ界にも「教則系Youtuber」がたくさん出現した。
多田誠司さん、布川俊樹さん、本田雅人さんというビッグネームもYoutubeを介した教則を配信しているし、
それ以外にも本当にたくさんのMusicianが自分の存在記録をYoutubeに残している。
結果としてジャズ教則ビデオが巷に溢れている昨今である。

教則動画はコロナ禍で演奏機会を限定されたミュージシャンにとって新たなマネタイズの道を開いたのは確かである。
演奏のクオリティ、演奏者としての知名度と教え方のクオリティは必ずしも一致しないところもあるので、演奏者としてのヒエラルキーとは別の評価軸が、こうした教則画像によって形成されうるだろう。
リアルな演奏と動画配信の組み合わせで、新たな認知度を得ることもある。
マーケットへの訴求手段が変化する結果、勢力図は少し変わるのかもしれない。

もちろん、この現状に対して、醒めた視線を送る人も多い。

www.youtube.com

「天才ピアニストゆうこりん」の動画では、こういう玉石混交のジャズ教則動画の現状についてかなり辛辣な批判がなされている。誇張された模範例の顔マネ、破壊力ありますね(笑)。
ジャズには営々と気づかれてきた過去の蓄積がある。
レジェンドに対するリスペクトが大事で「このスケールを覚えたらアドリブできますよ〜」なんていう付け焼き刃のやり方は、ジャズの歴史を愚弄しているのではないか?と問題提起している。

私も同感だ。
「J-POPのジャズ風アレンジ」みたいな演奏動画も、オシャレだとは思うけど、正直どこがジャズ風なん?と感じることは多々あるし、ジャズって、中からみた景色と、外から見た景色って、結構違うんだよね……と思う。

まあ、しかし、こうしたジャズ教則動画が、その後どういう方向に向かうのかは、考えておかなければいけないとは思う。

動画隆盛以前の構造:

ちなみに、現代を動画時代とすると、プレ動画時代である20世紀をふりかえってみよう。
戦後前期では、古くはキャバレーに常設されるバンド(「ハコバン」と言われる)で、OJTにてジャズを習得していたのだと思う。
しかし1974年生まれの筆者の時代は、ジャズは大学のジャズ研のようなところで習得することが多かった。
ジャズ専科の音大やジャズの専門学校というのもまだまだ少ない時代であり大多数はジャムセッションを行うお店(大都市にはもちろん地方都市にもジャズコミュニティの核となるようなお店とプロ〜セミプロの集団がいる)や学生部活・サークル活動のビッグバンドやコンボでジャズを習得するケースが多かったように思う。
もちろん徒弟制のようにプロミュージシャンに師事する若者も一定数いた。
しかしあくまでそれはプロミュージシャンの再生産が目的であり、レッスンそのものが主たる事業ではなかった。

80年代終わりから現在までは、ジャズ教育そのものがビジネスとして拡大する時代であったように思う。
プロジャズミュージシャンもレッスンによって生計を立てる人も増えてきた。
「弟子」から「生徒」にかわり、逆に言うと、必ずしもプロを目指さない「生徒」の比率が増えるわけだ。
もちろん、ジャズの専門学校、音大のジャズ科のようなところでジャズを習得し、プロになる人も有意に増えた。
ジャズ研からプロになる勢も相変わらず一定数いるのだが、大学そのものが70年〜80年代のレジャーランド化から実学志向になったこと、学費の上昇と親世代の所得減少により可処分所得が減少したことでアルバイトも増加したことで学生は忙しくなった。日がな一日狂ったように音楽をやり続ける暇はなくなった。

重要なのは、かつてはジャズという音楽に対して明確な参入障壁があったということだ。
音大やプロに師事するコースを除けば、多くの場合大学のジャズ研がジャズの入り口になっていた。
ジャズは他のジャンルに比べるといささかのリテラシーとまとまった練習時間を要求される。
大学のジャズ研という受け皿は、結果として資質と条件に満たない人材をほどよく門前払いする効用があったものと思われる。

Youtube動画の隆盛

Youtube動画の隆盛は、すべての人にジャズへの門戸を開くことになった。
「ジャズをやろう」と思い、ジャズの入り口の扉を叩く人は以前にくらべて数倍に増えるだろう。*1
ただある程度の段階まで到達する人材は、おそらくあまり増えず、ちょっとかじっただけの人が激増するのではないかと予想する。これはすべてのジャンルの傾向と同じだ。

前述の通り、かつては大学のジャズ研という地理的・階層的な参入障壁、もしくは理論書を読みこなし理解できる程度のリテラシーが資質的な参入障壁として存在していた。
Youtubeはこの障壁を取っ払った。

しかし、それはあくまで間口を広げたに過ぎない。結局ジャズを演奏できるには、動画を見ているだけでは無理で、ジャズのイディオムを理解し何千時間も練習をすることが必要である。
Youtubeでカジュアルにジャズでも触ってみようと思った人に、そのステップがクリアできるのかどうか。

まあ、そのへんにリアルワールドの「ジャズの先生」が必要なのだろうけど。

* * *

ところで「教則系Youtuber」に関して言えば、登録者数と内容の難しさはTrade-Offの関係にある。

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ターゲット層を考えよう

上の図はビジネス本とかによく出てくる、新しいことに対する適応の度合いを示す図である。
ジャズの習熟度でもこの図式が援用できそうだ。
Innovator=上級者(プロ予備軍)
Early Adaptor=アマ上級者
Early Majority=中級者
Late Majority=初心者 
といった感じで変換したらだいたい正しいのではないか。
実際、過去ジャズ研に入部した人間で、一学年でみると、これくらいの分布になると思う。
きちんとアドリブを取れる人間に成長する人は、どのジャズ研でも一握りで、フロント楽器であれば10%を超えることは少ない。

こう考えると、上級向けの動画がチャンネル登録を稼ぎにくい構図がわかりやすい。
上級=2.5%、初心者=34%で、母数が12.8倍違うからね。

Youtuberとしてマネタイズするためには登録者数・視聴数が多い必要がある。
いきおいYoutuberはそちらに最適化してゆく。
でも大多数に理解できる動画って、正直にいって、簡単すぎてほとんど内容がないのである。
そりゃそうだよね。「シロウトにも理解できる」内容なんだから。
しかしそういう動画の方が視聴数も登録者も多いのも事実。
Youtubeの世界ではそちらの方が評価されてしまう。
高アクセスはさらなるアクセスを呼ぶ。
結果的に「クソみたいな教則」がはびこるという事態になってしまうのだ。

これが『Youtube教則動画』の構造的な問題だ。
正直にいってそういう動画を何時間みても、ジャズができるようにはならないだろうな、とは思う。

こうした試行を繰り返し、積算してゆけば、一握りの上級者、中級者、膨大な初心者(でそのまま断念した人)が形成されるだろう。セッションとかで、かなり「癖の強い」オリジナルなのか劣化しているのかよくわからないスタイルの人間に出くわすことは増えそうだ。

問題は、初心者向けの動画を観ていて、練習を繰り返せば、本当に中級者向けの動画を理解し役に立つレベルにまで到達するのかどうかだ。

キュレーションビジネスはどうか

現状は 教則動画の配信そのものは、上級から初級どのレベルにおいてもそれなりの数の先生がYoutubeにひしめいている。
ここに新規参入するのは、もはや結構むずかしいような気がする。

しかし、今の実力がどれくらいで、どの動画が今の自分の実力には向いているのか、ということを教えてくれる、つまり、ある種のキュレーションをしてくれるサービスはかなりニーズがあるんじゃないかと思う。

どうしたって、独習の段階で、迷う。
その時に、オンラインサロンなり、リアルなレッスンなりで道を指し示すということが、やはり求められるだろう。これは今も昔も同じだ。

* * *

Youtube動画は、初学者に対しても、独習の道を開いたのは確かである。
その意味で、ジャズを学ぶ上で「民主化」が起こった。
ジャズ版「アラブの春」である。

しかし、その民主化が、決してみんなが上達してハッピー・ハッピー!といかないのも、
アラブの春と同じような気がする。

*1:多分増えている

Youtube時代にジャズはどう変化するか その1

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2021, 島根

前回の続きのような話。
jazz-zammai.hatenablog.jp

現代ではApple MusicやAmazon MusicSpotifyのようなサブスクリプションサービスで膨大な過去の音源にアクセスできるようになった。

リスナー体験としては、レコードをハイエンドオーディオで視聴すると圧倒的な感動があるのは確かだ*1
しかし、プレイヤーは自分の演奏スタイルを模索するため、アーカイブ化された音源を掘り起こして行く作業が成長過程において必要である。
プレイヤーこそ、サブスクリプションサービスを縦横無尽に利用して過去の作品にアクセスする意義がある*2

またYoutubeには、膨大な量の過去のライブ動画、演奏動画、教則動画などが溢れるようになった。
コロナ禍をきっかけに、生演奏を旨とするジャズミュージシャンも動画配信を行う人がかなり増えた。

状況は確実に変わりつつある。
それでは、こういう状況の変化が、次に何をもたらすのだろうか。

動画の流行がもたらすもの

nakamuranokangae.blog55.fc2.com
中村真さんのおっしゃるとおり、動画は生演奏に劣るのは事実だとは思う。
旧世代の自分も、そこは主張しておきたいところだ。
しかし動画はCDやレコードの「音源」と比べると、情報量において圧倒的に勝るのも事実だ。

* * *

演奏のアウトカムである「音」は音源で知ることはできる。
ところが演奏動画ではその音の成立過程をみることができる。
つまり動画だと「何をやっているか」というところがわかりやすい。
リスナー目線ではともかくとして、プレイヤー目線では、一流のミュージシャンの体の動き、目配せなど、音の情報だけではわかりにくいことが一目瞭然に知ることができる。
グルーブの感じやリズムも、演奏者の動きを真似することで、習得のきっかけになることも結構ある。

それでも大都市圏に住み、ジャズのライブを簡単に観に行ける人にとっては、ライブのほうが興奮・感動も共有できるしさらに多量の情報にふれることができる。動画とライブの感動体験はやはり違うとは思う。

だけど国内でもジャズのライブなんてあまりないような地方の住人にとってはYoutubeの存在は非常に大きい。同じ人口規模でも、ジャズのコミュニティのある地方とない地方、ライブが盛んな地方とそうでない地方がある。ジャズに恵まれていない地方であっても、Youtubeなどの動画の存在は、ジャズにリーチする機会を明らかに増やしてくれるだろう。*3

日本国内だけではない。
ジャズなど全く聴く機会がないようなアジア・アフリカ、ヨーロッパの住人にとっても、動画の存在は、ジャズに触れる機会を増やしてくれる。Youtubeの動画によってジャズへの扉が開かれる人たちは随分いるだろう。
最近バークリーやニュースクールなどのジャズを教える学校には、世界中から若者が集ってくる。
これは、情報にオープンアクセスできる現代のありかたが大いに貢献しているのだろう。

またジャズの理論などは、自国語に翻訳されるものは少ないかもしれないが、演奏動画であれば、必ずしも自国語での解説が必要ないこともある。演奏を見ると一目瞭然だからね。
だから言語の障壁がなくなり、グローバル化に寄与している可能性はある。*4

もちろん、点が線につながらないと、一ジャズ愛好家から、ジャズプレイヤーまでは到達しないかもしれない。
現時点では、ジャズが盛んでない国から出現するプレイヤーは、富裕層もしくは中間層の子弟が圧倒的に多い。
大都市に旅行した際にジャズに触れ興味を持ち、Youtubeなどで更にハマる、という「Two-Hit」が必要なのではないかと思う。もちろん、演奏に専念できる環境設定という意味でも、ジャズは高等遊民に有利にできているのだ。

* * *

ではジャズは今後も発展してゆき万々歳だ……などという楽観的なシナリオは期待できない。

ジャズは、幾分かのリテラシーを必要とする音楽であり、この音楽に惹きつけられる人間はそれほど多くはない。現実的には、ジャズの本場、アメリカでも、音楽を始める若者が必ずジャズを始める、という感じではあるまい。ロック・ポップス・ヒップホップなどが大多数で、ジャズに行く若者は一握りだと思う。

ジャズを聴いて、ジャズプレイヤーになる確率はかなり低いし、その確率はなかなか増えない。
ただ、nを増やせば、結果的にプレイヤーの数は増える。ジャズを志す若手が、ジャズのコミュニティや教育のきちんとしているところからだけではなく、グローバル視点でいろんなところからジャズプレイヤーが出てきているのは、Youtubeの世界的な普及などに助けられているのは間違いない。
Youtubeは地理的な制約を解放する効果があるのは確かだ。

* * *

この傾向は、ジャズのグローバル化につながるのだろうか。
とことん楽観的に考えれば、ジャズという音楽スタイル、コミュニケーションのありようは、言語の壁を超えた世界言語、ある種のコミュニケーションツールともなりうるのかもしれない。
しかし、ジャズは本質的にリテラシーを必要とするものであり、その意味では、スノビズム紙一重である。ジャズは中流〜富裕層の子弟が共有するややソフィスティケイティドされたグローバルミュージック以上のものにはなれないのではないか。それ以上のポピュラリティは難しいのかもしれない。

トーマス・ピケティではないが、今後それぞれの国で、固定しつつある社会階層間の分断は、いきつくところまでいけば政情不安にもなりうる。
ジャズなんてやっているようなやつは革命で血祭りに挙げられる…なんて世界線もあるのかもしれない。
悲観的に考えるとそうなる。

続く。

*1:ちょっと前に知人の家にお呼ばれしレコードを聴かせてもらったが、やはり音質がいいというのには格別な感動があるのだなあとつくづく感じ入った。思わず自分も…とポチリかけたけど、レコードを今から揃えるということはさすがに考えられないのでやめた

*2:もちろんスタイルの選択肢と多様性にもよるだろうが

*3:もちろん、単なる興味だけではなくて、点が線になるようなきっかけがないと、ジャズを演奏しよう、とはなかなかならないかもしれない。

*4:もちろん英語の世界言語化が前提であり、また英語の解説動画などを見ることによって、バークリーとか米国留学の参入障壁を下げているという現状もあるかもしれない。

ストリーミング時代に『好き』を貫くのは難しい

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2020, 津山

「わしの若い頃は…」なんていうつもりもないのだけれど。

ジャズプレイヤーの修行として、音源を聴いたり、コピー(トランスクライブ)したり、という作業はかならずあるものだと思う。
けれど、その音源をどのような形で入手するかというのは、もちろん時代によって異なる。

昔話:

僕は1974年生まれ。1993年に大学に入学し、2000年に卒業した。
まるっきりCDの世代である。
中学・高校生時代もタワーレコードを初め色々なお店でCDを買い漁ったり、友達に借りてカセットテープに落としたりしていた。*1
今でも音源はCDで買ってしまう。
ストリーミングは積極的には利用していない。
Amazon Prime MusicはUnlimitedの追加課金なしで使っている。
Apple Musicには黎明期に加入したけれど、自分のライブラリがどんどん脱落するという噂を聴いて、中止してしまった。
2020/11、久しぶりにApple Musicに再加入してみた。今後どうなるかは不明である。

* * *

でも、僕の世代なんてCDというまだリッピングのできるメディアだから可愛らしいもんだ。
一世代上の人たちは、レコードしかなかった。
カセットテープに落として何度も聴いたり、家でレコードを擦り切れるまで聴いたりだったらしい。
ジャズ喫茶でお目当のレコードがかかるのを狙ってソロを聴いて覚えて、ということもあったらしい。

さらにその昔。
チャーリー・パーカーがNYでビバップ・スタイルを始めた時は、みんな生演奏を聴きに行ったり、研究用に多分40-50kgある録音機(当時はポータブルのものがなかった)を持ち込んで隠し録り(笑)をしたりもあったとか。

今はそういう意味では楽な時代だ。ライブを聴くことも簡単だし、是非はともかく、かさばらない録音機もある。
音源もストリーミングサービスで、無限に聴くことができる。

ストックとフロー

この手のストリーミングサービスは、音楽そのものをストックからフローにするサービスであると言える。
ストックとフローについては、特に説明をしませんが、大丈夫ですか?
biz.trans-suite.jp

* * *

音楽を消費する側にとっては音楽がフローであること自体は仕方がない。
世の中の趨勢はそうなのだし、フローで供給されるものを敢えてストックする必要はない。

ところが、音楽の発信する側が、音楽そのものをフローとして取り扱って、本当にいいのか?と疑問に感じる。
他者の作品をフローとして扱っている限り、自分自身の音楽をフローとして扱われることを不当であると抗議する資格はない。

だから、ジャズを演奏する側、つまり生産する側にとって、ストリーミングサービスは、ある種の「踏み絵」であるように思う。
音楽をストリーミングサービスで便利に利用するのなら、自分もまたストリーミングサービス的に扱われることを覚悟しないといけない。

表現者として他者の音楽をどのようにとりつかうか。
まあそういう問題を大きくしなくても、一つ一つの音楽を自分の経験につなぎとめる作業というのが、音楽の習得には必要なわけで、フローでストリーミングを聴くという姿勢から、もう一歩脱却する必要があると思う。

最低でも、何を聴いてきたかという、記録をつけた方がいい。
これまで、そして今後も聴いてきた音楽というのは、自分の音楽の趣味嗜好の里程標そのものなのだから。

Apple Musicのようなものだと、プレイリストやレーティングなどで記録が残るかもしれないし、
できれば、日記のようなものをつけてアウトプットしておく癖をつけた方がよい。

ストリーミングサービスの利点

とはいえ、新しい音楽デバイスにはかなり便利な点もあるので、そこはしっかり利用した方がいい。

スタンダードを「曲名縛り」で検索し、同一の楽曲に対して、プレイヤーのアプローチ、アレンジなどを系統的に聴くことができる。

例えば "All the Things You are" とかで検索すると、無数のテイクを検索することができる。
私も数千枚CD持っているので、自分のアーカイブからでも30−40テイクピックアップできるけれども、そういう廃人級マニアでなくても、ストリーミングサービスは、数千万曲のアーカイブにアクセスすることができる。
おそらくだが、新世代のジャズプレイヤーは、曲の横断的なアクセスをキャリアの初期から繰り返すことができるために、深くソロへのアプローチを俯瞰することができるんじゃないかと思う。

その意味では、ジャズ・スタンダードはストリーミング時代には、相対的に価値が高まると思われる。
逆に、その反面、昔の名盤のB面一曲めのよいオリジナル曲などの、「B級スタンダード」「B級ジャズオリジナル」などは膨大なアーカイブの中で紐付けがされていないために、目に止まらなくなる。

アルバムの中のシングル曲のみが聴かれる、という潮流と同じだ。
アルバムの中に、意図を持って配置されたセットリストを尊重されることは少なくなり、一曲一曲の強度で評価される時代。これはストリーミングサービスの宿命的な弱点だろうと思う。

動画の功罪

最近はYoutubeなどの演奏動画がかなり沢山あるけれど、それもジャズの技能習得に大きく貢献していると思う。
音だけよりも、演奏している動画を見たほうが、楽器の技術的な解析はしやすいのは当然なことだ。特にピアノとかは運指や姿勢なども見えるので、一目瞭然だと思う。この辺も、僕の時代より技術の底上げが行われやすい要因ではないかと思う。

ただ、動画をみて、それですべてわかったような気になるのは大きな間違いでやはり生のライブでしかわからない現場の空気というものはあるし、そもそも動画で色々な演奏を簡単にひょいひょいとつまめるということ自体が、音を表現するという本質的なイデアの妨げになっているんじゃないかという考えもある。

nakamuranokangae.blog55.fc2.com
中村真さんという尊敬すべきピアニストのBlog「中村の考え」にも書かれている。

音楽体験そのものが変わってしまっている現状の中で、どのようにミュージシャンが成長してゆくべきか、というロールモデルは未だ定見がない。自分のありようについて謙虚に考えながら、色々なものを吸収してゆく必要がある時代だと言える。

*1:高校卒業時にカセットテープは多分1000本近くあったのだが、これは流石に電子化することは難しく、そのまま忘却のかなたにいってしまった。中学高校のブラバンの同級生はその後の人生のどの時期よりもマニアックな友人に恵まれたせいで、かなりレアな音源もテープで持っていたのだが…残念だ。同様にMD音源も今では聴く機会はない。捨てられないからとっておいてあるけどね。

CSR理論とジャズ その3

C-S-R環境は単一環境ではない

ジャズ・コミュニティーにおける
C環境・S環境・R環境というのを述べてきた。

ところが、実際には、ある地域が、単一の環境に支配されているということは少なくて、いくつかの環境が混在していることが普通である。
実際の植生でもそうで、C環境である森林・雑木林の周辺にはR環境である雑草が生えている草原が取り巻いていたりする。

ジャズにおいても然りで、C環境である大都市圏には、R環境も(あまり目立たないけどS環境も)混在している。
地方都市も、地域一番店ライブハウスはC環境要素があるし、それ以外にR環境・S環境が点在していたりもする。

そのブレンド具合というか、混在している中を、ジャズプレイヤーは移動したり行き来している。
C環境・S環境・R環境はお互いを補完する関係にあると言える。

S環境

その2でも述べたけれど、S環境だけでは未来がない。
S環境の中長期的な維持のためには、新規参入の育成環境であるR環境があった方が望ましい。

R環境

R環境は、学生や初学者の集まりであるが、R環境だけで閉じていると、やはりジャズの演奏能力の向上、というところに向かない場合がある。
過去いくつかの学生ジャズ研を見てきたが、外との交流がなくなって閉じたジャズ研は、急速に演奏の質が悪化する。一旦その状況になると、もう一度C環境との交流を取り戻すのは難しい。(そういう場合、R環境では居心地が悪い、演奏能力には長けているけど周囲との宥和能力の低い個体が、外へ環境を求めて出てゆく…みたいなイベントがないと、外との交流は復活しないことが多い)
R環境の質的な維持のためには、C環境とオープンに接続されていることが望ましい。
隔絶されたR環境は、だいたい淀む。

C環境

C環境の多様性を維持しているのは、当然ながら、C環境に隣接したR環境であったりする。
東京・大阪、大都市にはたくさんの学バンやジャズ研、音大のジャズ専科がある。これらから新規参入組が大量にC環境に流入し、C環境の質の維持と競争原理が働いている。もちろん前述したようにR環境にとってもC環境は補完した関係ではある。
ではS環境はどうか。
大都市のC環境のジャズプレイヤーのうち上位陣は、時々ツアーを組んで地方巡業にでかける。そう、S環境にだ。
S環境は、単独では収量が少ないが、全国くまなく合わせると、C環境のプレイヤーに対し、後背地としての潜在マーケットを提供していると言える。

それにS環境にとっても、C環境のプレーヤーが来ることによって、潜在ジャズ嗜好層への刺激付け、掘り起こしを行うことができる。

まとめ

このようにC環境、S環境、R環境というのは密接に相互を補完する役目がある。
S環境の維持にはR環境が必要だし、R環境にはC環境が必要。
C環境にはS環境もR環境もはずせない。

自らの地域のC/S/R環境を考察してみたらいいのではないかと思う。
エリアに必要なものはなにか、というのがみえてくるはずだ。

CSR理論とジャズ その2

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2019, 北海道

ジャズにおけるCSRとは:

その1では、植物学におけるC環境、S環境、R環境を例示した。
では、ジャズにおいて、同様のCSR環境を考えるとどうなるだろうか。

C環境:ストレスが少なく撹乱も少ない生育環境

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C環境の代表 森林・樹海

植物にとっては好適環境であるようなところ。例えば森林であるとか。
ジャズにおけるC環境とは、これは一目瞭然、東京・大阪などの大都市だろう。
沢山のライブハウスや、コンサートホールがある。なんなら放送局などもある。
レッスンなどにも事欠かない。
この様な環境で最も重視されるのは、競争力、ジャズでいえば、演奏の能力であろうと思う。
良い演奏をすれば、売れる可能性がある環境。それがC環境だ。

S環境:ストレスが大きく、撹乱は少ない生育環境

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S環境の代表例 砂漠

それに対して、S環境は外的環境が過酷であるような環境だ。
たとえば砂漠におけるサボテンを想像してみよう。

ジャズにおけるS環境は、例えば、人口10万以下の地方都市などだろう。
ライブハウスなどの演奏環境も乏しい。
聴衆がよい演奏を受け入れる文化的土壌も少ない。マーケットがない。
演奏に対するフィーも少ないため、プロミュージシャンを地域内で涵養できない。

こういうストレス環境では、当然ストレスに強い=低コストのミュージシャンが強い。
つまり、兼業のアマチュア・ミュージシャンだ。
音楽で報酬が期待できない状況でも生きていけないと、この環境にとどまることは難しい。

この環境では、演奏能力による淘汰圧は生じない。変化に対する耐性による淘汰圧も生じない。

いまひとつ冴えない演奏が十年一日のごとく、客のまばらなライブハウスで演奏される、みたいな光景は地方都市でしばしば見かけるが、これはしかし、S環境に完璧に適応しているとも言える。
(時々、とんでも無くうまいアマチュアミュージシャンがいたりするけどね)

R環境:ストレスが小さく、撹乱が大きい生育環境

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R環境の代表 雑草の生えている植生

R環境は、植生でいえば、雑草のような草が茂る低木環境である。
こういう環境は、変化適応性に富み、勢いのある(生育が早い)種に適した環境である。

ジャズに置き換えてみれば、これは学生のジャズ研であるとか、ジャズサークルのようなものが該当するかもしれない。
または、「学バン」と言われるビッグバンド。
もしくはジュニアジャズオーケストラとか、ジャズ教室のグループレッスンとか。
こういう環境に、例えば10年同じ環境にい続けるプレーヤーは少ない。どうしても一時的にこの環境に止まり、いずれは別の環境にでてゆくことになる。
この環境で淘汰されない条件は、ストレス耐性=低コストでも耐えられる、や、競走能力=絶対的な演奏能力ではない。
むしろ、変化適応力だ。
周囲環境に馴染むのが早いこと、与えられた要求に答えるのが早いという能力がもっとも重要だと思われる。
環境の変化に強く=へこたれたりしにくく、繁殖力の強い=友達など交友関係の広い人間が、この環境にもっとも適していると言える。演奏能力そのものよりも、だ。

S環境では成長は期待できない

私が住んでいる地方都市は、ジャズ研があるような大学もなく、新規参入が期待できない環境なのである。
ここ数年、やはり新規参入の人材が出てこないよなあと慨嘆していた。
そうなると、いきおいジャズマンの高齢化も進み、そしてサウンドの多様性も減少してゆくのである。
地方に住んでいるジャズ愛好家のみなさんも同じ気持ちではありませんか?

なんで、新規参入がないのだろうか?
の答えがこのCSR理論で理解できたのである。
こういう地方都市はS環境の典型なのである。
S環境はそもそも新しい人材を育てる土壌ではない。

新しい人材を育てる可能性があるのはやはりR環境なのである。
R環境で揺籃期を楽しく過ごし演奏の素養を身につけたら、S環境に遷移しても演奏活動を続けられるかもしれない。
いきなりS環境に放り込まれても、ジャズマンとして定着することはできない。そもそもS環境に適応したプレイヤーはR環境からみて、リスペクトを抱きにくいし、ロールモデルにもしにくいのだと思う。

ということで地域の全体的な状況がS環境であったとしても、その中に局地的にR環境を作り出すことができれば、そこから新規参入のジャズプレイヤーを輩出することができるかもしれないと思う。

逆に言えば、田舎で後進を育てるためには、意図的にそういう環境(R環境)を作らないとダメなのだ。