ストリーミング時代に『好き』を貫くのは難しい
「わしの若い頃は…」なんていうつもりもないのだけれど。
ジャズプレイヤーの修行として、音源を聴いたり、コピー(トランスクライブ)したり、という作業はかならずあるものだと思う。
けれど、その音源をどのような形で入手するかというのは、もちろん時代によって異なる。
昔話:
僕は1974年生まれ。1993年に大学に入学し、2000年に卒業した。
まるっきりCDの世代である。
中学・高校生時代もタワーレコードを初め色々なお店でCDを買い漁ったり、友達に借りてカセットテープに落としたりしていた。*1
今でも音源はCDで買ってしまう。
ストリーミングは積極的には利用していない。
Amazon Prime MusicはUnlimitedの追加課金なしで使っている。
Apple Musicには黎明期に加入したけれど、自分のライブラリがどんどん脱落するという噂を聴いて、中止してしまった。
2020/11、久しぶりにApple Musicに再加入してみた。今後どうなるかは不明である。
* * *
でも、僕の世代なんてCDというまだリッピングのできるメディアだから可愛らしいもんだ。
一世代上の人たちは、レコードしかなかった。
カセットテープに落として何度も聴いたり、家でレコードを擦り切れるまで聴いたりだったらしい。
ジャズ喫茶でお目当のレコードがかかるのを狙ってソロを聴いて覚えて、ということもあったらしい。
さらにその昔。
チャーリー・パーカーがNYでビバップ・スタイルを始めた時は、みんな生演奏を聴きに行ったり、研究用に多分40-50kgある録音機(当時はポータブルのものがなかった)を持ち込んで隠し録り(笑)をしたりもあったとか。
今はそういう意味では楽な時代だ。ライブを聴くことも簡単だし、是非はともかく、かさばらない録音機もある。
音源もストリーミングサービスで、無限に聴くことができる。
ストックとフロー
この手のストリーミングサービスは、音楽そのものをストックからフローにするサービスであると言える。
ストックとフローについては、特に説明をしませんが、大丈夫ですか?
biz.trans-suite.jp
* * *
音楽を消費する側にとっては音楽がフローであること自体は仕方がない。
世の中の趨勢はそうなのだし、フローで供給されるものを敢えてストックする必要はない。
ところが、音楽の発信する側が、音楽そのものをフローとして取り扱って、本当にいいのか?と疑問に感じる。
他者の作品をフローとして扱っている限り、自分自身の音楽をフローとして扱われることを不当であると抗議する資格はない。
だから、ジャズを演奏する側、つまり生産する側にとって、ストリーミングサービスは、ある種の「踏み絵」であるように思う。
音楽をストリーミングサービスで便利に利用するのなら、自分もまたストリーミングサービス的に扱われることを覚悟しないといけない。
表現者として他者の音楽をどのようにとりつかうか。
まあそういう問題を大きくしなくても、一つ一つの音楽を自分の経験につなぎとめる作業というのが、音楽の習得には必要なわけで、フローでストリーミングを聴くという姿勢から、もう一歩脱却する必要があると思う。
最低でも、何を聴いてきたかという、記録をつけた方がいい。
これまで、そして今後も聴いてきた音楽というのは、自分の音楽の趣味嗜好の里程標そのものなのだから。
Apple Musicのようなものだと、プレイリストやレーティングなどで記録が残るかもしれないし、
できれば、日記のようなものをつけてアウトプットしておく癖をつけた方がよい。
ストリーミングサービスの利点
とはいえ、新しい音楽デバイスにはかなり便利な点もあるので、そこはしっかり利用した方がいい。
スタンダードを「曲名縛り」で検索し、同一の楽曲に対して、プレイヤーのアプローチ、アレンジなどを系統的に聴くことができる。
例えば "All the Things You are" とかで検索すると、無数のテイクを検索することができる。
私も数千枚CD持っているので、自分のアーカイブからでも30−40テイクピックアップできるけれども、そういう廃人級マニアでなくても、ストリーミングサービスは、数千万曲のアーカイブにアクセスすることができる。
おそらくだが、新世代のジャズプレイヤーは、曲の横断的なアクセスをキャリアの初期から繰り返すことができるために、深くソロへのアプローチを俯瞰することができるんじゃないかと思う。
その意味では、ジャズ・スタンダードはストリーミング時代には、相対的に価値が高まると思われる。
逆に、その反面、昔の名盤のB面一曲めのよいオリジナル曲などの、「B級スタンダード」「B級ジャズオリジナル」などは膨大なアーカイブの中で紐付けがされていないために、目に止まらなくなる。
アルバムの中のシングル曲のみが聴かれる、という潮流と同じだ。
アルバムの中に、意図を持って配置されたセットリストを尊重されることは少なくなり、一曲一曲の強度で評価される時代。これはストリーミングサービスの宿命的な弱点だろうと思う。
動画の功罪
最近はYoutubeなどの演奏動画がかなり沢山あるけれど、それもジャズの技能習得に大きく貢献していると思う。
音だけよりも、演奏している動画を見たほうが、楽器の技術的な解析はしやすいのは当然なことだ。特にピアノとかは運指や姿勢なども見えるので、一目瞭然だと思う。この辺も、僕の時代より技術の底上げが行われやすい要因ではないかと思う。
ただ、動画をみて、それですべてわかったような気になるのは大きな間違いでやはり生のライブでしかわからない現場の空気というものはあるし、そもそも動画で色々な演奏を簡単にひょいひょいとつまめるということ自体が、音を表現するという本質的なイデアの妨げになっているんじゃないかという考えもある。
nakamuranokangae.blog55.fc2.com
中村真さんという尊敬すべきピアニストのBlog「中村の考え」にも書かれている。
音楽体験そのものが変わってしまっている現状の中で、どのようにミュージシャンが成長してゆくべきか、というロールモデルは未だ定見がない。自分のありようについて謙虚に考えながら、色々なものを吸収してゆく必要がある時代だと言える。