半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

楽器のうまい下手、アマとプロの汽水域にいる話

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ちょっと前にTwitterでも書いていましたが。

私は、昼間は普通の仕事をしているのですが、趣味としてジャズをやっております。

マチュアのジャズミュージシャンの実力としては、どれくらいのポジションにあるか?というのは、なかなか難しいよなあと思いますが、一応、中級者~上級者と自称しても差し支えないかと思っています。*1

大体どこのジャムセッションにも行って、大体の曲はやっちゃう。あと、歌伴のオブリとかも大体やっちゃう。

ただ、超速のテンポとか苦手ですし、D~F#のシャープ系のキーは苦手で、二の足を踏んだりしますし、バラードの表現力は拙いなあといつも臍を噛む思いでもあります。んーじゃあ、中級者か。中の上。

そんなわたしの、戯言です。以下は。

 *    *    *

 というわけで、プロが混じっているセッションにも、今ではあまり抵抗なく参加している昨今ですが、学生の時分、プロのミュージシャンといえば、全く雲の上の存在で、親しげに話なんかできなかったし*2 ましてや、一緒に演奏させていただくなんて、めったにないことでした。

 逆に、学生の頃は、CDになってるような有名ミュージシャンに対して、「ここがいい悪い」など知ったげな事を言ったりこきおろすことも可能でした。

 なぜなら、彼らは別の世界の住人だったから。

 下手くそだったからプロと住む世界が完全に違っていたわけだ。

ところがいまは、その頃よりちょっとうまくなり、そのおかげで世界が広がりました。すると、そういう人と、例えばアフターセッションなどで同じ舞台にたったりするわけですね。

 演奏を目の当たりにすると、自分との懸隔をまざまざとみせつけられるわけで、そういうことは逆に言えなくなるんですよね。うまくなれば、さらに上が見えるので、人は謙虚にならざるを得ません。

 リスナーとして聴く分には「大したことないわ…」とか不遜にも思ってたミュージシャンでさえ、一緒にやると、やっぱりすごいんだわ。はあ、一緒にやるって、聴くだけよりもいろんなことがわかるものですね。

 *    *    *

 かといってプロだから即尊敬に値する、という訳でもないのは面白いところ。

 楽器で飯を食う、ということは、並々ならぬ覚悟でできることではない。その姿勢だけで尊敬すべき人生を選択されていることは間違いないんです。

 ただ、演奏家としての技量やそのサウンドのありようは、やはりまちまちで、専業演奏家だから、無条件に尊敬できる演奏になるというわけではない*3

 専業音楽家であることは、すばらしい演奏の必要条件の一つではあるけれども、十分条件ではない。

 たとえば、プロアマの汽水域から這い上がれないプロの中には、楽器は抜群に上手いけど一流プロになるための何かが欠けているのか、「唄う」アマチュアの方が部分的には優れている場合がある。

 *    *    *

 うちの父はゴルフ狂いなのだが、音楽狂いの私のそれと同様、往時はアマチュアでありながらプロと時には一緒にやるくらいの腕前である。左利きでハンディは最高で3。

 そのセミプロ級の父に聞くと、ゴルフでも同様のことはあると。

 ゴルフのプロは、そりゃあプロテストに受かる「スポーツ選手」なので、体の作りこみもすごいし、ドライバーの飛距離とか、そういう強さは、やはりアマとは画然としているわけですけれども、結局ゴルフの本質はパッティングであり、そこはメンタルおよび経験が結構ものをいうので、たとえば勘所のいいベテランアマチュアからみたら、まだ「つかみ切れていないよなあ」みたいに感じられる部分もあるのだとか。

 で、アマでもプロとやり慣れている人は、そういう戦力の非対称部分をうまく使って、「全要素でアマに勝たないと」、と思っている若いプロの勝ち気に乗じて勝負をしかけるらしい。

 すごくわかる気がする。

 *    *    *

 もちろん、競技ゴルフと、ジャムセッションは違う。

 でも、テニスのラリーとは、少し似ている部分もあるかもしれない。

 ラリーを続けることと、得点をすることが、相反するように。

 ジャズは、勿論協働してひとつの曲を作り上げる「非ゼロサムゲーム」的な要素もあるわけですが、もちろん、ソリスト同士が、お互いのソロを競う「ゼロサムゲーム」的な要素もあるわけです。

 出来上がった音楽をいいものにするには、相手の得意なところをのばすようなアプローチがいい。でも、相手よりも自分のソロを印象深いソロにするために、相手の得意な部分をつぶすようなアプローチも時にはありうるとは思います。

 相手に打たせて、ラリーを続けるような演奏。相手に打たせないようにして、得点をあげるような演奏。

 演奏においては、共演者に対する尊敬と反感、自己に対する謙遜と自負、さまざまなメンタリティーが混在しており、それによって、とりうるアプローチがいろいろかわってくるわけで、それがジャズの出たとこ勝負であり、楽しい部分であると思います。

 ジャムセッションというのは、ある種のゲームであると私は思っているのですが、時々そういうことを考えつつ、各人のエゴを推し量りながら、自分の表現を変えたりしています。

*1:そもそもトロンボーンという楽器自体がジャムセッションにおいてはハンディキャップ楽器なので、この辺の評価が難しいところではある。また、こういう「自認」ってやつは、基本的に過大評価しやすいという弊もある

*2:もちろんこじれた自意識も大いに作用していたと思います。

*3:口に糊するために不本意な演奏をする、というパターンの専業音楽家も当然いらっしゃるわけですし