半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

ヒゲとボインとギター

f:id:hanjukudoctor:20131207180111j:image:w240:right

ワークライフバランス(Wikipedia)という言葉と同様に、ミュージックライフバランス、ということを考えてもいいと思う。

 バランスを欠いている人が周りに多すぎる。

 自戒もこめて。クールダウン。

 *  *  *

 プロの場合はすべてのエネルギーを注力することが許される(むしろそうしなければいけない)が、主たる生計が音楽以外にある場合は、可処分時間として多くを仕事に削られ、残ったリソースを音楽に注ぎ込むことになる。

 問題は残ったリソースのうちどれくらいを音楽に注ぎ込むかだ。この可処分時間のうち音楽の占有率が多すぎる場合は、その分何かを代償していることは間違いなく、しかも我々はそのような「不都合な真実」から目を背けがちである。音楽は基本的には「快」に属することで、今やらなければならない緊喫の事案から目を背け、音楽に逃避する弊がある。

 以前僕は学生に向かって「学業、音楽、セックス。二つまでは選べる」と言っことがある。セックスという言い方が直截的すぎるなら、恋愛といってもいい。これは医療における有名なトリレンマのパクリだが、社会人になっても学業が仕事に置き換わるだけでそれは同じだ。

ヒゲとボイン

ヒゲとボイン

 

 Unicornの名曲「ヒゲとボイン」は仕事か恋愛かという二者択一をヒゲとボインというアイコンで単純化して見事な歌詞にしたわけで、この言い方に従えば、我々は「ヒゲとボインとギター」のうち2つを選ぶ世界に生きている*1

 *  *  *

 ただ、現実はオール・オア・ナッシングではなく、ゲームのようにアイコンを選んで装備して終わり、というわけにはいかない。現実には、我々はヒゲもボインもギターをバランスよく配分して生きることになる。複数のことを同時に処理する意識をもつ必要はあるけれど。

 私は頭の中に、自分の取り組んでいることに関するポートフォリオ(wikipedia)をいつも頭の中で想像している。その中には、仕事(これは臨床的なこと、医療経営的なこと、学術的なことなどさらに細分化されている)や、音楽、ダイエット(ジョギング)、家族との関係性、友人関係などが入っている)。

 自分の中のポートフォリオの中の事柄の優先度をうまく管理して、ベターなパフォーマンスをあげられればいいと、いつも思う。

 人がどう感じようが、自分のなかでトータルで損得感情が浮けば、人生、勝ちだ。

 *  *  *

 一つ一つの事柄に関しては、かけたコストに対してリターンが帰ってくる。この場合、コストはお金ではなく、時間や自分の情熱であり、リターンは自分の満足度ということになる。

 ある程度コストを増やすにつれてリターンは増える。が、あるレベルを超えると用量依存性が失われて効率は逓減してゆくはずだ。

 そしてポートフォリオにファイリングされている音楽、仕事、だけではなく、その他のものにも気を配っておかなければいけない。家族のこと、だったり、恋愛だったり。家事だったり、その他の維持すべき友人関係であったり、別の趣味であったり。時間は有限で、ある種誰にとっても平等だ。自分にとってのもっともよいバランスをさぐる。


 音楽に対する深い情熱を持つことと、冷徹に今の自分のありようを客観視して、注力する時間を出し入れすることは矛盾はしないと思う。すべては趣味を継続させるのに必要なことだ。BCP(Business continuity planning)。


 すなわち、ミュージック・ライフ・バランス。

*1:音楽を演奏することを「ギター」と象徴した。なんとなく演奏して遊んで暮らす、というと南の島でギターかウクレレをもっているのを想像するから。