半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

ボーカルと私。

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最近私はあちこちで歌い散らかしているわけです。はい。

実際のところ嫁には、あんたの歌どうなん?と聞かれますが(あ、嫁は私よりずっと歌がうまいのです。ドラムしながらのコーラスには定評がある)実際のところどうなん?と私も思う。まあ、ひどく音程ははずれてはいないとは思う。

私は長らくストイックなインストゥルメンタリストという立ち位置で音楽に関わってきたので、今までの私をよく知っている人からすれば、最近の私のありようには、いささか違和感があるように思う。というか、私自身がそうです。

なんで僕、歌ってんだろ?

 * *

ボーカルというものは私とは無縁な存在だとずっと思っていた。自分にボーカルなんて出来るはずがない、と。

僕が考えるボーカルのイメージは、まるで新鮮な果実をぎゅっと絞ったように、あふれちゃってあふれちゃってしょうがないくらいに音楽的な才能が豊かな人。

開放的な心性を持った人。

どちらかというと理性よりも情実に豊かで、他人の感情の波動に敏感な人。

 …そういうのがボーカルにとって必要な特性と思っていた。

対して僕は、ぜんぜんそんなタイプではない。

もぐらのように深く潜って乏しい音楽的鉱脈を掘り起こしてやりくりしていたタイプだ。情よりも理。心の扉も閉ざされて、どちらかというと批判的な思考をする。

 * *

 きっかけはカラオケだった。

 昔は私はカラオケに行かない人だった。「歌で表現しなくても楽器で音楽やっているからいいや」と言っていたが、なんのことはない、自分の拙い歌を晒すのがいやだっただけだ。青年期の私の肥大した自意識は、歌うという外向的な行為を行うにはいささかナイーブ過ぎたといえる。そうして僕の青春時代は過ぎた。

 数年前から、楽器の練習をするのにカラオケボックスを使うようになり、となると必然的にお一人様カラオケになり、そこで空いている時間で歌ってみたりしたわけだ。その頃トロンボーンもピッチが随分良くなっていた事や、お一人様なので、キーの最適化とかができたのもあると思うが、結構歌えたのである。なんだ!俺ヘタじゃないじゃん、と。

 また、それとは別に、去年のエントリー(曲をこなせること:http://jazz.g.hatena.ne.jp/hanjukudoctor/20121016)にも書いたが、楽曲分析をするのに、歌詞を集めたり、曲の世界観を調べるとか、そういうインサイドワークも、こつこつとしていたのである。せっかく調べたんだから、そのまま捨ててしまうのももったいないような気もした。

 それなら試しに歌ってみたらいいじゃないか、最近カラオケもよく行くし

 →あら面白いわあ。歌って楽しいわあ。

 まるでそば湯のようなものである。

 スピンアウト、とかバイプロダクトとか、かっこいい言い方もあるが…

 かくして僕は歌い始めたのである。

 * *

 歌ってみてわかったことは、やはりボーカルと楽器は随分違うということ、しかし、本質的には同じということ。

 ボーカルは、自分が頭のなかでイメージしたことが、かなりダイレクトに反映される。ボーカルってやつはとにもかくにも丸出しなのだ。むしろ抵抗がなさすぎる。

 対してトロンボーンは、頭のなかでおもいえがいたことを音にするまでに相当の修練を必要とする楽器だ。抵抗に打ち勝って、なんとか音を出す、そういう感じだ。だからトロンボーン一筋だった自分からしてみれば、ボーカルのダイレクトさには相当当惑した。泥田の上を歩いていた人間が、突然氷の上に立たされたようなものである。

 ただ、そういう不自由な環境でいろいろ考えてきたことは、やはり同じ音楽。役に立つのである。人生に無駄なことはない、というのは本当だ。

 逆に、器楽なしで純粋にボーカルだけだと、よりどころがないと思う。紙と鉛筆なしで数学の問題を解くようなものだ。どうやって練習したらいいのかすごく難しいと思う。*1

 泥田と氷のたとえになったが、トロンボーンは、音を出すのにコントロール力が要求されるのに対し、ボーカルは無数に出しうる音のうち、強い意志を持って音を置く(刈りこんでいく)コントロール力が要求されるのかもしれない。

 いずれにしろ、トロンボーンをやったことはまぎれもなくボーカルやるのに役立っている。そして、ボーカルをやることも、トロンボーンの方にもフィードバックされている。

 * *

 ボーカルという形で前に出る選択を最近したのは、自分の仕事の変化もあるかもしれない、とも思う。

簡単に云うと、今までキレンジャー的な人間だった僕は、今後アカレンジャーになる。組織の下部構成員であることから、経営者とか、プレイングマネージャーという立場に今後数年でなることを余儀なくされる。

 私の中では、そのような変化について「性に合わないなあ…」という、うんざりした気持ちを持ちながら、しかしやらなければならないのだ…という覚悟とも畏れともつかない感情が混在している。

 フロントに立って歌うという行為は、つとめてアカレンジャー的な行為で、それを敢えてやろうと思い立ったのは、ある種の訓練を自分に課しているともいえなくもない。今ボーカルをやってみているのは、不足の栄養分を補っているのに近い。

 そして嬉しい事に、私自身はそういう振る舞いに慣れつつある。変化を実感している。

数年経てば、今の自分の行動はもうすこし冷静にふりかえることができるかもしれない。その時に、長年やってきたトロンボーンが、自分の心の中でどのような地位を占めているのかは、興味深い問題だと思う。

*1:実際、ジャズの構造に興味を持ったボーカリストはやはり楽器を触りつつ学習をしているように思われる。テーマだけ歌って終わりのボーカルとそれ以上に進むボーカルかの、境目はそこだ