半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

セッションのこと

セッションにおいて、テーマを吹いて、Leading Soloを吹く場合に要求されるスキルと、サイドマン(私の場合は管楽器なので、管楽器の2番手・3番手)として参加する際に必要なスキルというのはまた違うような気がしている。

ところが短編小説はまずうまく書けていないことにはお話になりません。うまく書けていない短編小説なんて、ストライク・ゾーンでの細かい出し入れができない中継ぎのピッチャーみたいなものです。ストライクが思うように入らないことには、ピッチングの組み立てができない。そうなるとゲームにもならない。でも長編小説の場合は先発完投だから、全体を貫く勢いが問題になってきます。多少コントロールが定まらなくても、相手のバッターを呑んで、びゅんびゅんバットを振らせればいいわけです。そうすれば三振がとれる。そうすればゲームになる。

(村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』より『短編小説はどんな風に書けばいいのか』)

これは長編小説と短編小説に関する村上の言で、必ずしもあてはまるものではないが、やはり、最初のTheme~Leading Soloまでは、ピッチャーで言う先発に近いニュアンスがあるように思う。

 それ以降のソリストは中継ぎである。

 Leading Soloistは、ゲームメイクをして、全体のカラーを作る責任がある。またそれ以降のソリストは、全体の流れにのっとって、自分に与えられたスペースを、全体との調和をはかりながら生かす必要がある。

 全体を曲として起承転結を把握する、というのはどの段階のソロでもそうなのであるが、先発は空気を読みつつも、積極的に自分のカラーを出してゆく必要があるし、あとに継ぐソロは、先発の出した空気を、あえてつなぐ、あえてがらっと変える、いずれもありだけれども、物語として成立させるという意識をもってやるべきなのだろう。

 セッションは、つまるところ、空気を読む練習、のようなもの(広島Birdでサックス湯浅さんにいただいた言葉)、これにつきるのだろうか。