ピッチの話 その2―ロン・カーター。音程の多義性。
前回の続きです。
jazz-zammai.hatenablog.jp
マイルス・スマイルズ
話を個人のレベルに落とすが、ロンカーターである。
ロンカーター、昔の僕は、単に「ピッチ悪いやつだな」と思っていた。
びよんびよん曖昧なビートで曖昧な音を弾く、みたいな感じで、どうもあまり凄みというのを感じなかったのです。
でも、最近ロン・カーターを聴きなおしてみたのだが、ロンカーターはピッチそんなに悪くない、というか倍音の構成上、ピッチのいい悪いを判定しにくい音である。いわゆる弦楽奏者的な「いい音」ではなくて、壁のような鈍さがあるというか、下方倍音がリッチな感じ?
対して、ペデルセン(NHOP)はロンと対照的だ。
ものすごく明快な音程でソロもウォーキングベースラインも奏でている。
「トゥイーン」という感じの、ものすごく音程が明確な音を出す。
それと比べると、ロン・カーターの音はつぶれているようにうつるし、「ブーン」という感じでなにしろ曖昧だ。
しかし重要なのは、そういう「ピッチのあいまいさ」こそがおそらくマイルスの求めるところだったんじゃないか。
ペデルセンのピッチはよすぎるのである。良すぎて、ダイアトニック・トーンが、透けて聴こえる。
やっていることの頭の中が透けすぎるピッチなのである。
マイルスのいわゆる「ザ・クインテット」と呼ばれた時代は、各人の提供する音は、かならずしも統制されたものではなかった。
各々が頭脳と経験を駆使して、それまでの定型的なフレージングからはずれた新しいことを模索していた。
決して、一つのモード=イデオロギーに凝り固まることがなく、その場その場で実に「民主的に」ベースとなるモードが決定されては変化していた。
こうしたバンドでは、最低限決められた規範=モードの中で、ソリストやピアノは、自由な動きをする。
この可塑性こそがモーダルインターチェンジの本質だと思うが、そういう演奏における自由さを担保し、しかしそれぞれが出しうる異質性がばらけないようにまとめていたのが、ロン・カーターの音の曖昧さ=多義性だったのかもしれない、と最近の僕は思っている。