アドリブの楽しみ方ーその3
メロディーは「たたき台」
色々な形を経て、最終的には、50年代以降のジャズは、
「その2」の後半で示した形態、つまりテーマメロディーの間にがっつりとソロスペースのある形態が主流となります。
メロディーのはじめから終わりまでを「1コーラス」とし、その1コーラスを自由な回数繰り返しアドリブソロをとるという形式に落ち着きました。
(もちろん別の形態もあるわけですけれども、コンボジャズの楽曲の7割がたはこのような形態をとっています)。
他のジャンルでは、メロディーは楽曲を構成する最重要要素です。
しかしジャズのこの形態は、メロディーは出発点にすぎない。
悪く言えば、メロディーはたたき台なんです。
そして、ジャズは、綺麗にメロディーを奏でる音楽ではなく、メロディーと同じコード進行を反復させ変奏に変奏を重ねた挙句に行き着く到達点を競う音楽になってゆきます。
つまりどれだけメロディーから離れていけるか、という音楽です。
こういう形態になった理由はいくつか考えられます。
- ジャズの発展の担い手が歌ではなく器楽奏者であったこと。
- 「自由」さというものがことさらに時代性もあり重要視されたこと。
- クラシックにおいても、第二次世界大戦後、例えば十二音技法などの無調音楽など、脱メロディなどの抽象的な方向に向かっていた潮流とも呼応していたこと。
ジャズの二律背反(娯楽と抽象芸術)
結果的に、酒場や娼館の娯楽音楽であったはずのジャズは、抽象度の高いモダニズムと結びつき、特異な到達点に達します。
(主役を担ったのは戦争に参加しなかったアウトサイダー達のBe-Bop一派、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーを中心とするジャズマン達でした。彼らは当時の最先端文化と相互作用もしていましたが、当代のインテリゲンチャにも刺激を与える存在であったと同時に麻薬・酒への依存も強いアウトサイダーでもあり続けました。その相克の中で翻弄された挙句多くのジャズマンが短命に終わっています)
しかしジャズの面白いところは、あくまで娯楽音楽としての枠組みを崩さなかったことです。
酒場音楽としてのポピュラリティと抽象音楽としての高い精神性、その二つの間を揺れ動きつつ、背反する二つの要素の中で発展をつづけてゆきます。そこが、今になっても独特の魅力を放っているのではないでしょうか。
* * *
残念ながら、ジャズのそのような発展は、ロック・フォークミュージックが台頭し、ジャズはポップミュージックの主役から駆逐されてしまい、一旦は栄光の歴史に幕をおろします。
ジャズはその後ポピュラー音楽の中でマーケットシェアを失い、衰退を続けてゆきます。
しかし、マーケット的な成否はともかくとして、ジャズはその後も即興演奏の純度を高めて今に至ります。
「抽象度の高い即興演奏」という点では他のジャンルより一日の長があり*1、結果としてジャズマンはソリストとしてポップスや他ジャンルに傭兵のように呼ばれるポジションであったりもします。
まとめ
ジャズというジャンルは、そのプレイスタイルだけをみると、すでに歴史的な役割を終えているのかもしれません。
ただ、他のジャンルとの差異は、結局のところアドリブ(インプロヴィゼーション)です。
現在でもジャズが意味を持ちうるのは、このアドリブソロという方法論の魅力が失われておらず、他ジャンルからも必要とされているからに他なりません。