半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

使っていい音について その3

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問い:使っていい音、使ってはいけない音、というのがよくわかりません。
 自分がアドリブを吹いたりする時に、「あっこの音、はまっていない!」と思う瞬間はあります。おそらくその音の使い方が不適切なんだと思うんですけれども、なぜその音がいけないかが解らないんです……
 でも、理論書をみて"Available note scale"とか書いてあるものの範囲内でも、はまっていないなと感じる時があるんです。
 よくわかりません。

「使っていい音」について その1 〜Available Noteの謎 - 半熟ドクターのジャズブログ
使っていい音について その2 - 半熟ドクターのジャズブログ

の続きです。

「間違い」と感じる理由

 では、理論的に、無限の自由度が許されるのであれば、なぜソロによっては「間違っている!」と感じられるようなものが生じるのでしょうか?
それは我々の耳の錯覚なんでしょうか?

オッカムの剃刀

オッカムの剃刀」という法則がありますね。

[オッカム-の-剃刀]Occam's razor; Ockham's razor
Occam's razor is a principle attributed to the 14th-century English logician and Franciscan friar William of Ockham. The principle states that the explanation of any phenomenon should make as few assumptions as possible, eliminating, or "shaving off," those that make no difference in the observable predictions of the explanatory hypothesis or theory. The principle is :
entities should not be multiplied beyond necessity.
(ある事柄を説明するのに、必要以上に複雑な仮説を立ててはならない)
(Wikipediaより)

人は、可能であれば、出来るだけシンプルな理論に基づいた解釈を望みます。

あるコード進行に対して、無限といってもいいアプローチがあるけども、選んだ音をシンプルに説明できるのであれば、シンプルに説明すべきであるし、脳はそうとらえます。

ドレミの枠内で説明がつくものは、ドレミの(要するにダイアトニックスケールの)範囲で説明するし、我々の脳内もそういう風に解釈します。
例えば、スタンダードナンバーのメロディーなどは、ダイアトニックな音階で作られていますよね。
我々の中心部にはやはり強固にダイアトニックな音階が刷り込まれている。
 基礎と応用でいえば、基礎部分にはがっちりドレミ(ダイアトニック)の世界でできています。

 あるコードとフレーズの関係性を、シンプルにも、複雑なリハモでも説明できる場合、我々の脳はシンプルに解釈します。
 ゆえに、ダイアトニックスケール(要するに、ドレミの音)だけを使ったフレーズはダイアトニックコードの上で処理される。

 で、こういう時にアドリブで「間違っている」と強烈に感じられやすいのは、トニックにおける四度の音です。
 イオニアンスケールでは四度=ファの音が、Avoid Note(=厳密にいうと「避ける」というよりは「慎重に扱うべき」音というべき)なんですが、それなりの音価を持ってこの音を置くと、明らかに違和感がでてきます。どちらかというと、聴き手ではなく、自分の中で。

 では、ダイアトニック以外の音列ならどうか?
 non-diatonicの音を交えたフレーズは、様々な理論的アプローチが考えられるがゆえに、一瞬、判断停止に陥ります。だから、むしろダイアトニックの音を使って、コードの解決感が示されない場合に、人は「間違い」であると判断を下しやすいようです。
 ですから、一見矛盾しているようですが、いわゆるAvailable note scaleといわれる、そのキーの音よりも、キーの音以外の音(non-diatonic note)の方が、案外間違って聞こえない。

共時性の排除

 あと、大事なことは、アドリブのある部分で存在が許されるのは一つの理論に従って選択されたスケールです。
 同時に、複数のスケールが混在することは許されません。
 要するに、G7のところでは オルタードスケールを使ったり、調性はCなのでCのドレミの音(G ミクソリディアン)を使ったりできますが、同時にごちゃまぜにしたらいかん、ということです。オルタードで行くならオルタードで、ドレミでいくならドレミ、どっちか選ばなきゃいけない。切り替えることはできますが、まぜちゃだめです。

 例えばコース料理を考えますと、前菜があって、オントレ、メイン、デザートがある。これらは一つずつ順番に出ることでそれらの存在感をお互いに増すことが出来るわけです。もし、メインの中にデザートが突っ込まれて一緒に出てきたらどうでしょう?味の足し算、とはいわないですよね。台無しです。
 音楽でも同じで、カラフルなサウンドを作ろうと思っても、すべてのエッセンスを一度につめこんでは期待した効果を得ることは出来ません。

 もちろん、一つのフレーズの中では必ず一つの理論に従ってフレーズを作るべし、なんていいません。
 しかし、例えばIIm7-V7-Iでフレーズを作るとして、前半は、IIm7のコードトーンを使った(スケールで言えばドリアン)フレーズ、V7の一二拍はミクソリディアンで、三四拍目はオルタードスケールのフレーズを吹いたとしましょう。この時、オルタードに変わったらそのあとはオルタードスケールの枠内でしか音を使うべきではない。このオルタードスケールにミクソリディアンの構成音を混ぜると、すべての音が使えることになりますが、それでは何がなんだかわからなくなってしまいます。

 でも、アドリブの上ではオルタードに変化するタイミングは何拍目でもいいわけです。
ミクソリディアンのフレーズを吹いているある時点をもって、「次に吹ける音」を考えると、1:そのままミクソリディアンでフレーズを作ってもいいし、2:オルタードの音を使ってもよい。即ち、すべての音を使うことができます。これは最初に挙げた「おはようございます、□…」の例と同じですね。

まとめ

 すべてのものを選ぶことができる。我々には選択の自由がある。
 しかし、同時に選べるのは一つ。
 そして、選んだ語法にそって出たフレージングに我々は責任をもたなきゃいけない。
 そういうことです。

 シュレーディンガーの猫のようですね。
 理論的には 例えば V7のコードで、様々な可能性がありうる。V7は非常に多彩なアプローチが許される。それは、頭の中にある時は、ある存在確率の雲のような形で存在しています。
 しかし、実際に音を選んで出す時には、一つの理論によって導かれた音列になる。

 我々が吹いたフレーズは、聴者の耳にて、再び解釈されるわけです。ここで、選んだ語法の範疇に収まらないフレーズは、エラーに聞こえてしまう、ということになります。特に、自分のフレーズを自分が聴く場合は、自己再解釈ではなく、背景の語法は自分の中で決めていますよね。
 その語法からずれていたら、「間違っている」と認識されると思います。

 だから、自分では「ミスした」と思っていても、他者にはそれほど間違っていないように聴こえることは、よくあります。