半熟ドクターのジャズブログ

流浪のセッショントロンボニストが日々感じたこと

コードの理解 その6:展開と圧縮2

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コードは、比較的フレキシブルであるということをいままで書いてきました。
コードの理解 その1:アベイラブル・ノートスケールの陥穽 - 半熟ドクターのジャズブログ(コード)
コードの理解 その2:圧縮・展開について - 半熟ドクターのジャズブログ
コードの理解 その3:コードを複雑にする理由 - 半熟ドクターのジャズブログ
コードの理解 その4:ドミナント・モーション - 半熟ドクターのジャズブログ
コードの理解 その5:まとめ - 半熟ドクターのジャズブログ

すべての音楽がそうではありませんが、ジャズ、特にドミナント・モーションを基調とするバップのスタイルにおいては、コードを自由自在に展開させたり圧縮させてソロを展開する、というアプローチをとっています。

これを「この小節には、このコード記号が書かれているので、この音を選ぶ」という思考プロセスだけでフレージングを行うと、面白くありません。それでは、スピード感もないし、自由さが生まれないんです。

バップのフレージングは

「はい。このあと自由行動! 3時には集合してください!」

みたいな感じなんです。
制約を受けるのはドミナントの着地点のみ。
正直に言えば、それだけで成立してしまうアプローチ、であるとさえ言えます。

(もちろんバップスタイルにおいてさえも、すべてのフレージングはこれで説明できるわけではない。モードやモーダルインターチェンジではまた違ったアプローチをとります。しかしいずれにしろ、なんらかの展開が行われる、ということは共通していると思います。)

コードの展開・圧縮ふたたび

その2でもちらりと例示しました。
コードの理解 その2:圧縮・展開について - 半熟ドクターのジャズブログjazz-zammai.hatenablog.jp
曲のコード進行の圧縮⇔展開について、もう少し丁寧に記してみることにします。

  • 歌の構造的な基本形(A)
  • 例えばミュージカルの譜面やブルースのコード進行のような、比較的シンプルなコード進行(B)。
  • ジャズで演奏しやすいコード進行に整えた、いわゆるLead Sheetのコード進行(C)。

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簡単なシェーマ。
簡単に図示してみました。
ジャズの演奏では、このLead Sheet(C)を演奏の出発点にします。
しかし、その背後には 基本形(A)、シンプルなコード(B)が伏流として存在している。
それを理解しておく必要があります。

もちろん(A)から(B)、(B)から(C)への展開は、様々なパターンがありうる。

このことが、

「なぜ同じ曲でも、本によってコードが少しずつ違うのか」

という謎に対する答えです。
Lead Sheetとして提示されているコードは絶対的な正解ではない。
原型(A)(B)から、ジャズとして演奏しやすいコード進行(C)にどれだけ展開させているか。
それだけのことです。

* * *

複数のスタンダード・ブックをもっている人は見比べてみてください。
スタンダード曲を本ごとに見比べると、コードの書き方には、細かく違いがあることがわかります。
コードのつけかた、編者の考えとか癖とか美意識が透けてみえて面白いんです(「Real Book」の中には、バイト仕事のような統一感のない手書きの譜面の集積もあります。この場合は統一したコンセプトはやはり見えてこないですよね)
本による違いは、正解・不正解ではないことを知ってください*1
その差異も含めてコードを咀嚼できれば立体的な理解につながると思います。

* * *

アドリブ

さて、テーマが終われば、アドリブソロになります。
アドリブソロでは、このリードシートのコード進行から、さらに展開をさせようという意志をもつことが大事です。
(A)→(B)→(C)、この延長線上で、コード進行を展開させる。

その方向は様々です。
リハーモナイゼーションを行い複雑化する。(これはシェーマの、上むきの矢印、複雑化ですね)7thコードを建て増しして、Dominant Motionを増やす、なんてことはよくありますよね。
逆に、込み入ったコードをほどいてシンプルなコード進行に戻し、それを念頭においてアドリブするのもありです。下むきの矢印の方向性ですね。

それを、どう展開していくかが、自分のソロの個性、自分の文体となります。
そういう展開性なく「コードにあった音を吹く」という状態では、自分の文体を身につけているとはいえない。

ただ、それはリズムセクションとの共同歩調で行わなければいけません。
自分だけで勝手に突っ走ってもいいサウンドになりません。
だから、カラオケのバックトラックのようなことをバッキングに期待してはいけないんです。

自分のアドリブを展開させていけば、すぐれたリズムセクションは、そのLead sheetのコード進行からの乖離を理解してくれます。
理解した上で、追随するか、あえて静観するか、もしくはリズムセクション側からフロントを「誘い」新たな展開へ導くか、など、様々な選択肢を提示してくれます。
これが、ジャズが「会話」とか「Interplay」とかいうゆえんですね。

* * *

仮に、フロントがアドリブを展開させ、コードの複雑化再構成を行い、当初のテーマメロディーから離れたところに到達しても、リズムセクションがそれに全く追随せず、土台の音が反応しなければ、フロントのソロはさらなる展開をしにくいです。気持ち折られるというかね。

逆に、創意工夫あるリズム・セクションのもとで演奏しているのに、まったく発展性が感じられないフロントのソロも、つらいもんです。そういう人はそういうの気づけてない(音楽的にも)のが、一番つらい。

リズム・セクションがフロントのソロを汲み取って、反応してくれると、フロント楽器としては、さらにフレーズの展開がおこなえ、結果的に、より高く跳べるでしょう。

いささか理想論をいいましたが、こういうイメージをもつことが大事かなあと思います。

*1:ときに、不適切な例もありますけど